わって看護婦と一緒に向うの写真屋へ行った。看護婦の望みで、母親にも勧めたが、母親の心はそれどころではなかった。
 やがてお庄は積めるだけの物を、蹴込みに積んで、母親と一緒に一と足先に病院を引き揚げた。
 格子戸や上り口の障子を外して、吊り台を家のなかまで持ち込んだのは、午後の三時過ぎであった。叔父はこれまでに丸山の主《あるじ》や糺に手伝ってもらって、死亡の報知《しらせ》を大方出してしまった。病院の帰りに、電話や電報を出した口も少しはあった。その中に、墨西哥《メキシコ》公使館の通弁をしているという仏の従弟《いとこ》に当る男などもいた。
「すみませんが、六尺を一本ずつ切って戴きたいもんで。」安公は座敷に蓙《ござ》を敷いて、仏に湯灌を使わそうとするとき、女連《おんなれん》の方へ声かけた。吊り台から移された死骸は屏風の蔭に白い蒲団の上に臥《ね》かされてあった。
 晒木綿《さらしもめん》を買いに、幸さんが表へ飛び出して行った。
 女連は、別の部屋の方で、経帷子《きょうかたびら》や頭陀袋《ずたぶくろ》のようなものを縫うのに急がしかった。母親はその傍でまた臨終の時のたよりなかったことを零《こぼ》しは
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