らせた。
 病人の顔は少しずつはっきりして来た。
「そこの茶箪笥に、私の湯呑があったかね。」患者はにちゃにちゃする口をもがもがさせた。
 看護婦が、渇《かわ》きを止めるような薬を、管《くだ》で少しずつ口へ注いでやった。
「病気が癒ったら、床あげに弁松《べんまつ》からおいしいものをたくさん取って、食べましょうね。」患者は思い出したように言い出して、衆《みんな》を笑わせた。
「ああ、それどころじゃない。どんなお金のかかることでもして上げるで、もう一度癒っておくれよ。」母親は泣くような声を出した。
 集まって来た人たちは、また寝台を離れて、床《ゆか》のうえに坐った。
「この塩梅《あんばい》じゃ、また二、三日もちますかね。」
「お庄ちゃん、叔父さんは……。」患者はうとうとしたかと思うと、また訊きだした。
「叔母さん、いまじきですよ。」
 お庄は叔父を見に行く風をして蒸《む》れるような病室を出て行った。そして廊下の突当りにある医員の控え室に入った。
 控え室は十畳ばかり敷ける日本室《にほんま》であった。糺の知合いの医員を、お庄も湯島時代から知っていた。そして一緒に茶を呑んだり、菓子を摘んだりした
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