した。
 四時ごろに、老婦《としより》は娘の意気な櫛《くし》などを挿し込んで、箪笥にきちんと錠を卸《おろ》して、また病院の方へ出かけて行った。

     四十六

 三週間も経った。そのころには、病人の体もただ薬の灌腸《かんちょう》や注射で保《も》たしてあるくらいであった。頭脳《あたま》がぼんやりして、言うことも辻褄《つじつま》が合わなかった。体が冷えて、爪に血の色が亡《う》せて来ると、医師《いしゃ》がやって来て注射を施した。患者はしばらくのまに渾身《みうち》が暖まって来た。
「ことによると、今夜もたないかも知れませんよ。御親類へお報《しら》せになった方がよろしいでしょう。」
 老婦《としより》やお庄が、昏睡《こんすい》状態にある患者の傍で、医師からこう言い渡されるのも、もう二、三度になった。
 息を吐《ふ》き返して来ると、患者は暗い穴の底から、縁《ふち》に立っている人を見あげるように、人々の顔を捜した。
「私だよ。」母親はその手を握って、娘の頬のところへ自分の顔を摺り寄せて行った。
 患者は心から疲れたような、長い厭な唸り声を立てた。
「おお可哀そうだな。」と、母親は鼻を塞《つま》
前へ 次へ
全273ページ中144ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング