語らなかった。戦捷後《せんしょうご》持ちあがったいろいろの事業熱が、そろそろ下火になって、一時浮き立った人の心がまた沈んでいた。叔父もそんなような波動に漂わされた端くれの一人であることが、お庄の胸にも朧《おぼ》ろげに感ぜられた。
 会社の提灯《ちょうちん》を持った爺さんが、叔父の居所を捜しに来た。お庄はへどもどして奥へ駈け込んだ。
「困るね。」と、叔母は厭な顔をして、玄関口へ現われた。
「何、小崎さんがお預かりになっている鍵さえあれば解ることなのです。別に御心配なことじゃありませんでしょう。けど、いよいよ鍵がないとなると、今夜中に金庫を打《ぶ》ち壊《こわ》さんけれアならんそうですからな。」
 実体《じってい》そうなその爺さんは、上《あが》り框《かまち》のところに腰をかけ込んで、脱《ぬ》け目《め》のない目で奥口を覗《のぞ》き込んだ。
 側に聞いている母親もお庄も、胸がどきどきしていた。
「まさか弟が費消《つかいこみ》をするようなことはありゃしまいと思うがね。」母親は目を擦《こす》りながら、傍から呟《つぶや》いた。
「いずれ小崎さん一人の責任というんでもござんすまい。」爺さんは、小倉の洋服
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