すこも近ごろは身上《しんしょう》を作ったそうで、良人《おやじ》からお庄をくれてやろうかなんて言ってよこしましたけれど、私は返事もしましねえ。」母親が父親のことを怒っている風がお庄にもおかしく思われた。
「お庄はまた会社の方で、くれろと言うものもあるで、少し裁縫でも上手になったら、私《わし》が東京で片づける。」と、叔父は自分の目算を話した。
お庄の縁談は、そのころもないことではなかった。小原という男なども、その胆煎《きもい》りの一人であった。お庄を見に、小原と一緒に花など引きに来る男も一人二人あった。
叔母が湯治に行く時、叔父も湯治場まで送って行って二、三日|逗留《とうりゅう》した。
叔母がいなくなると、その日その日の経営を、お庄は叔父から委《まか》されることになった。
お庄は長火鉢のところに坐って、世帯女のような気取りで、時々小遣い帳を拡げて拙《まず》い字でいろいろの出銭を書きつけた。
三十七
叔母は荒《さび》れた秋口の湯治場に、長く独りで留まっていられなかった。宿はめっきり閑《ひま》になって、広くて見晴しのよい部屋が幾個《いくつ》も空いていた。経費も何ほどもか
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