硬い蒲団に横たえると、すぐにぐッすり寝込んだ。朝起きるとまた同じように、重い体を動かさなければならなかった。お庄は婆さんの前に坐っていると、膝やお尻の、血肉《ちにく》が醜く肥ったことが情ないようであった。
「それにあすこいらはおそろしい風儀がよくないと言うじゃないかい。お前もそんなことをしていれア、一生頭があがらないぞえ。」
お庄の耳には、根強いような婆さんの声が、びしびし響いた。お庄は聞いて聞かないような振りをして、やっぱり笑っていた。そして時々涙のにじみ出る目角《めかど》を、指頭《ゆびさき》で拭《ぬぐ》っていたが、終《しま》いにそこを立って暗い段梯子の方へ行った。お庄は婆さんに何か言われるたんびに、下宿の二階で見たことなどがじきに頭に浮んだ。鬢の薄い、唇の黒赭《くろあか》いようなその顔が、見ていられなくなった。
「兄さんはお二階……。」お庄は落ち着かないような調子で訊いた。
二階では、取っ着きの明るい部屋で、糺《ただす》が褞袍《どてら》を着込んで、机に向って本を見ていた。
「御免なさい。」と言って、お庄はそこへ上り込んで行った。
「誰か来ているのかと思ったらお庄か。」従兄《いとこ》はこっちを向いて、長い煙管《きせる》を取り上げた。
お庄は挨拶をすますと、窓のところへ寄って来て、障子を開けて外を覗《のぞ》いた。そこはすぐ女学校の教室になっていた。曇ったガラス窓からは、でこでこした束髪頭が幾個《いくつ》も見えた。お庄は珍しそうに覗き込んでいた。
「どうしたい。」従兄はお庄の風に目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》っている。
「今下で、お婆さんにさんざん油を絞られましたよ。」
「お前のいるところはどこだえ。」
お庄はそこへ坐って、煙管を取りあげた。
「何だ、お庄ちゃんか。」と言って、繁三も次の室《ま》から顔を出した。
二十八
日の暮れ方まで、お庄はここに遊んでいた。二階の連中と出しっこをして、菓子も水ものを買って、それを食べながら、花を引いたり、燥《はしゃ》いだ調子で話をしたりするうちに、夜|寄席《よせ》へ行く約束などが出来た。
「そんなことをしていてもいいかえ。築地の小崎もお前のことを心配していたで、今夜にも行って見た方がよくはないかえ。お前の風を見て、小崎が何と言うだか。」
婆さんは、飯も食わずにそわそわしているお庄に小言を言った。もうランプが点《とも》れていた。お庄は隅の方へ鏡を取り出して大人ぶった様子をして髪の形などを直していた。
「今日でなくとも、明日という日もありますから……。」と、お庄は安火《あんか》に入って、こっちを見ている糺の苦い顔を見ながら言った。
「余所《よそ》へ出て働くというのは辛いものだろう。」と、糺は傍から口を利いた。
「どうせそれは楽じゃないわ。」と、お庄も鏡に映る自分の髪の形に見入りながら、気なしに言った。
「今初めてそんなことが解っただか。お前が独りで口を拵えて行ったじゃないかえ。」
お庄も糺も黙っていた。
「さあ、若いものは遅くなると危いで、化粧《つくり》などはいい加減にして、早くおいでと言うに。」と、婆さんはやるせなく急《せ》き立てた。
築地の方へは、この家が下宿を引き払った時分から、母親が引き取られていた。弟も相変らずいた。そこへ行くには、叔母にもちゃんとした挨拶をしなければならず、自分の身の上の相談を持ち込むのも厭であった。
「それじゃ行ったらいいだろう。そして小崎の叔父に話をして、浅草なぞは早く足を洗った方がよさそうだぜ。」糺も興のない顔をして言った。
「え、それじゃ行きます。」お庄は急に髪の道具をしまいかけた。
「どうせお前たちを見るのは、一番縁の近い小崎のほかにアないもんだで、行ったらよく話して見るがいい。あすこには子供がないで、そのくらいのことをするが当然《あたりまえ》だ。」
するうち古茶箪笥の上の方にかかっている時計が五時を打った。お庄は何だか気が進まなかった。寄席へも行きそびれたような気がして、心がいらいらした。糺に話したいことも胸につかえているようであった。お庄思いの糺には、家もなくて方々まごついているお庄の心持が、一番解っているように思えた。
お庄は帯を締め直すと、二階に忘れて来た手※[#「巾+白」、第4水準2−8−83]《ハンケチ》を捜しに上った。二階には寒い夕方の風が立てつけの悪い障子をがたがた鳴らして、そこらの壁や机の上にまだ薄明りがさしていた。お庄はその薄暗いなかに坐って、しばらく考え込んでいた。するうちにそっと起ちあがって、段梯子を降りた。
お庄はやがて、堅く凍《い》てついた溝板《どぶいた》に、駒下駄《こまげた》の歯を鳴らしながら、元気よく路次を出て行った。外は北風が劇しく吹きつけていた。十五日過ぎの通りには
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