持って来てくれた時も、同じようなことを聴かされた。相談ずくで、自分を店の売り物にしようとしているような二人の心持が、ようやく見えて来たようにも思えた。
洋服屋が前に来て騒いだ時も、お庄は着物など着替えさせられて、座敷へ出された。その男は酒に酔うと浮かれて唄《うた》など謳《うた》い出した。そして帰りがけに、衣兜《かくし》から名刺を取り出して、お庄にくれた。名刺には高等洋服店|何某《なんのなにがし》と記してあった。
洋服屋は、今日もお袋にちやほやされて、養女のお庄を相手に騒いでいた。お庄は銚子《ちょうし》を持って母屋《もや》の方へ来たきり、しばらく顔出しをしずにいると、また呼び立てられて、離房《はなれ》の方へ出て行った。
「お客さまの前へはあまり出さないことにしておりますものですから……。」と、お袋はお愛想を言いながら、入れ替りに部屋を出た。
七十二
暮れてから客が引き揚げて行くと、家が急に淋しくなった。お庄も強いられた酒の酔いがさめかかって来た。取り散らかった座敷を片着けている女中を手伝いがてら、二階へ上って手擦りに凭《よ》りかかっていると、裏の田圃《たんぼ》で啼《な》き立てている蛙《かえる》の声が耳について、頭脳《あたま》が掻き乱されるようであった。いつもそのころになると、お庄は東京を憶い出していた。
ここへ来る少し前に、茨城の方から叔父のところへ長い手紙をよこしたお照のことなどが、思い浮べられた。叔父が悪い病気に罹《かか》ってからも、一日も傍を離れなかったお照は、田舎から持って来た着物までなくして、終《しま》いにやりきれなくなって、姿を隠してしまった。それが茨城まで流れて行ったことは、叔父も知らなかった。手紙には相変らず狂気《きちがい》じみた文句ばかり並べてあったが、何をして暮しているかということを考えると、人事のようにも思えなかった。
女たちは、そこに置き忘れて行った敷島を吸いながら、客の品評《しなさだめ》などをし合っていた。この女たちも方々を渉《わた》り歩いて、いろいろの男を知っていた。いつもよく来る中野の隊の方の、若い将校連の風評《うわさ》なども出た。
こんな連中にも評判のいい洋服屋の様子は、お庄にも悪くはなかった。男はお庄に東京へ出たら、是非店へ遊びに来いと言って、そこを委《くわ》しく教えてくれた。お庄のこともいろいろ聞きたがった。お庄は女たちにそのことをいろいろ言われた。
「私はあんなのッぺりしたような人嫌いですよ。」と、お庄は顔を背向《そむ》けながら言った。
「それでも家の芳ちゃんよりかもいいでしょう。」と、年増の方の女は、そこにべッたり坐っていた。
「芳ちゃんも可哀そうね。」と、若い方の女は、餉台《ちゃぶだい》の上を拭きながら呟いた。
八時ごろに、お庄はお袋に断わって、ちょっと四ツ谷まで出かけた。何だか今夜は家にじッとしてもいられなかった。
停車場まで来ると、前の床屋で将棋仲間に加わっていた芳太郎が、すぐにお庄の姿を見つけた。お庄が客の前へ出るのを、芳太郎は快く思わなかった。そんな時にはきっと料理場で菰冠《こもかぶ》りの飲口を抜いてコップで酒を呷《あお》ったり、お袋に突っかかったりした。そうしたあげくに、金を掴《つか》みだして、ぷいと家を飛び出して行った。手近に金のない時は、板片《いたぎれ》の端に黐《もち》をつけて、銭函《ぜにばこ》の中から銀貨を釣り出した。
「家のものは皆な己《おれ》のものだ。己の物を己が持ち出すに不思議はない。」
芳太郎はこう言って、銭函の前に、どかりと胡坐《あぐら》をかきながら、銀貨の勘定をしていた。
「それが厭なら、身上を速く己に渡すがいいんだ。」と、駄々を捏《こ》ねた。
親父は苦い顔をして、帳場の方で見ぬ振りをしていた。
「誰がこの身上を作ったとお思いだい。莫迦《ばか》お言いでないよ。」と、お袋はたしなめたが、強いて止めることも出来なかった。お庄が来る少し前に、親子の間《なか》が揉《も》めてしばらく家を出ていた親父を、また引っ張り込もうとして大喧嘩をした時、外から食《くら》い酔って帰って来た芳太郎に、刃物を振り廻されたことが、お袋にも気味が悪かった。
芳太郎は金を持ち出して行くと、宿《しゅく》の方へ入り浸って、二日も三日も帰らなかった。お庄が来てからも、新婦《にいよめ》の仕打ちに癇癪《かんしゃく》を起して、夜中に家を飛び出すこともめずらしくなかった。
お庄はぷりぷりして出て行く芳太郎を送り出すと、そっと戸締りをして、また寝所《ねどこ》へ復《かえ》った。そして楽々と手足を伸ばして甘い眠りに沈むのであった。
「おいおい。」
床屋の店から、芳太郎が声をかけた。お庄は黙って行き過ぎようとした。
七十三
「おい、お前どこへ行く。」と、芳太郎
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