《しま》の羽織に尻端折《しりはしょ》りをして、靴をはいた男などがいた。中には羽織袴《はおりはかま》の人もあった。
「どうも御苦労さまで……。」という挨拶が、双方から取り交された。
 その家は停車場から五、六町も隔たった通りにあった。暗い町中にはところどころに人立ちがしていた。広い空地に集《つど》うている子守の哀れな声で謳《うた》う唄《うた》の節が、胸に染みるようであった。お庄らの入って行ったところは、近ごろの普請と思われる扉《とびら》のある新しい門口で、そこを潜《くぐ》ると、木立ちを切り拓《ひら》いて作ったような、まだ落着きのない山ばかりの庭を通って、橋廊下で繋《つな》がれた一棟の建物の座敷の縁側へ出るように、飛び石が置いてあった。池の縁には松の葉蔭に燈籠《とうろう》の灯が見えなどした。
 お庄らの上って行った部屋は、六畳ばかりの小間《こま》であった。浅山も媒介人《なこうど》も、インバネスを脱ぎ棄て、縁側から上って行くと、やがていろいろの人がそこへ顔を出した。老人《としより》夫婦もちょっと来て挨拶をして行った。
 店の方で、何やらごたごたしている様子が、こっちへも解った。お庄が女中に頼んで、そこへ鏡台を持って来てもらって、顔を直したり、衣紋を繕ったりしている間に、媒介人《なこうど》は二度も三度も、店の方へ呼ばれて行った。
「困ったな。」と、媒介人《なこうど》は部屋へ復《かえ》ってくると、入口でそっと浅山に耳打ちをした。一行が乗り込んで来る二、三時間前に、ぶらりと店頭《みせさき》から出て行ったきり、子息《むすこ》の姿が見えないと言うのであった。
「どうしたというんだ。肝腎のお婿さんの行方が知れないなぞは少しおかしいね。」とチョッキの間ぬけて衿の濶《ひろ》いフロックを着けて坐り込んでいた浅山は、興のさめたような顔をして、薄い口髭《くちひげ》を捻《ひね》っていた。
 頭の地の透き透きになった、色の黒い大柄の媒介人《なこうど》は、落着きのない顔を顰《しか》めてまた母屋《もや》の方へ渡って行った。
 二十二になる新婿《にいむこ》が、床前《とこまえ》に伏目がちに坐っている嫁の側へ押し据えられたのは大分経ってからであった。お庄はその顔を見ることすら出来なかったが、べろべろに酔っていることだけは、媒介人《なこうど》に引っ張られて入って来た時の様子でも解った。並みはずれに身長《たけ》の詰ったじくじくした体や色の蒼白い細面なども、坐る時薄々目に入った。
 親戚たちの挨拶が長く続いた。
 燭台《しょくだい》の火が目にちらつくようで、見まいとしている婿の姿が、横からまた目に映った。
 盃《さかずき》の時、骨細い婿の手が、ぶるぶる顫《ふる》えていた。

     七十

 翌朝お庄が目を覚ました時分は、屋内《やうち》がまだひっそりしていたが、立て廻した屏風《びょうぶ》の外の日影は闌《た》けていた。昨夜《ゆうべ》は寝室《ねま》へ退《ひ》けてからも、衆《みんな》はいつまでも騒いでいた。終《しま》いにはお袋の三味線などが持ち出された。汽車の間に合わなくなって、東京へ帰れなかった連中もあった。意地の汚い浅山も酔い潰れて、次の室《ま》に衆《みんな》と一緒にごろ寝をすることになった。そんな人たちの疲れた寝息や鼾《いびき》が、こっちまでも聞えた。
 子息《むすこ》の芳太郎《よしたろう》は、蒲団の外へ辷《すべ》り出したまま、まだ深い眠りに沈んでいた。角刈りにした頭の地も綺麗で、顔立ちも優しい方であったが、手足の筋肉がこちこちと硬かった。時々板前をやると見えて、どこか腥《なまぐさ》い臭《にお》いのするのも胸につかえるようであった。お庄は明け方までおちおち眠ることが出来なかった。
 芳太郎の口から聞かされる家の様子の、お袋の話と違ったところのあることが、じきにお庄にも感づけた。盃をする間際《まぎわ》に、近所の飲み屋で酒を呷《あお》っていたのも、衆《みんな》が揶揄《からか》っていたように、きまりの悪いせいばかりとも思えなかった。芳太郎の父親が死んでから、父親の生きているうちに外妾《めかけ》から後妻に直ったお袋が、引っ張り込んで来た今の親父を、始終不快に思っている芳太郎の心持も呑み込めた。親父には、牛込にいる女房も子もあった。実の父親が逐《お》い出した芳太郎の母親は、長いあいだ田舎の方を流れ歩いて、今は消息も絶えていた。
「お前も、あの親父にいびられることくらいは覚悟していなくちゃ駄目だよ。」少し口がほぐれてきた時分に、芳太郎はそう言って狎《な》れ狎《な》れしげに、酒くさい息を吐《ふ》きかけた。
 お庄はそんなことを憶い出しながら急いで床を離れると、屏風の外で着物を着換えて部屋を出た。
 橋廊下から母屋《もや》の方の台所へ出て行くと、年増《としま》のと少《わか》いのと、女中が
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