》を卸《おろ》して、店を出さしてやるというこんだから、何が正雄の得手だか、それが決まると口を見つけて、すぐそっちへ行くことになっているだけれどね……。」
「正ちゃんは何がいいていうんです。」
「それが自分にも解らないそうで……。」母親は茶の湯気で逆上目《のぼせめ》を冷やしていた。
 叔母が起きて来て、三人で飯を済ましてもまだ叔父は帰って来なかった。叔母は出勤の時間を気にしながら、始終表の方へ耳を引き立てていた。顔に淡《うす》く白粉などを塗って、髪も綺麗に撫《な》でつけ、神棚に榊《さかき》をあげたり、座敷の薄端《うすばた》の花活《はないけ》に花を活けかえなどした。お庄はそんな手伝いをしながら、昼ごろまでずるずるにいた。
 叔父は三時ごろにやっと帰って来た。叔母は待ち憊《くたび》れて安火に入って好きな講釈本を読んでいたし、お庄は帰ろう帰ろうと思いながら、もう外へ出るのが億劫《おっくう》になって、暖かい日のあたる縁側で、雲脂《ふけ》の多い母親の髪を釈《と》いて梳《す》いてやっていた。
 叔父はどこか酒の気もあるようであった。細い首に襟捲きを捲いて、角帯の下から重い金時計を垂下《ぶらさ》げ、何事もなさそうな顔をして入って来た。
「叔父さんの碁は大変長いって、今もそう言っていたところだに。」と母親は笑いながらその方を振り顧《かえ》った。
 叔父は黙って火鉢の傍に坐ると、赤く充血したような目をして、そこにあった新聞を長い膝の上で拡げて見ていたが、奥で叔母に床を延べさせて大欠をしながら寝てしまった。
「お庄ちゃんも昨宵《ゆうべ》から来て待っていますのに……。」と、叔母は言いかけたが、叔父は深く気にも留めなかった。
 お庄は座敷で叔父の脱棄《ぬぎす》てを畳みながら今日も夜まで引っかかっているのかと思った。叔母は箪笥の上に置いた紙入れのなかを検《しら》べなどしていた。
 夜になっても、叔父の目は覚めそうにもなかった。

     三十二

 晩飯の時、叔母は叔父の好きな取っておきの干物《ひもの》などを炙《あぶ》り、酒もいいほど銚子《ちょうし》に移して銅壺《どうこ》に浸《つ》けて、自身|寝室《ねま》へ行って、二度も枕頭《まくらもと》で声をかけて見たが、叔父は起きても来なかった。ランプに火を点《つ》けてお庄が呼び起しに行くと、叔父は顎《あご》の骨をガクガク動かして、細長い筋張った手を蒲団
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