日目であった。叔母の体は、手をかければ崩れでもしそうに、顔も手足も黄色く脹《ぶく》ついて来た。時々差し引きのある熱も退《ひ》かなかった。下《しも》の方からは厭な臭気《におい》が立って、爪《つめ》や唇に血の色がなかった。腹膜、心臓、そんなような余病も加わって来た。
「こう何も彼も一時になって来ては、とても手のつけようがありませんな。何なら大学へでも入れて御覧になりますか。」医師は絶望的に言い断《き》った。
その日の暮れ方に、湯島の糺《ただす》の方へ大学の病室の都合を訊いてもらいに駈けつけたお庄は、九時ごろに糺と一緒に戻って来た。大学の方は明きがなかった。糺は方々駈けずりまわった果てに、前に下宿していたことのある友達が助手をしている、駿河台《するがだい》の病院の方へようやく掛け合ってくれた。
「どっちにしたって死ぬ病人だもんだで、病院に望みはない。」叔父はこう言ってすぐ入院の準備に取りかかった。
体の重い病人は、床のなかで着替えをさせられると、母親や叔父や、多勢の手で上り口へ掻き据えられた吊《つ》り台の上にやっと運び込まれた。そんなにまでして病院へ担《かつ》ぎ込まれるのを、病人はあまり好まなかった。
「どうか早く癒って帰るようになっておくれよ。」母親は目に涙をためながら、門まで出て、担ぎ出される吊り台の中を覗き込んだ。
「留守を何分お願い申します。」と叔母は喘ぐような声で言った。
叔父と糺とは、提灯《ちょうちん》をさげた植木屋と一緒に、黙って吊り台の傍へ附き添ったが、その灯影にちらちら見える人々の姿の見えなくなるまで、母親とお庄は門に立って見送っていた。静かな夜であった。
四十三
この病人には、おもにお庄と、田舎から出て来た病人の母親とが、附き添うことになった。
田舎の母親の出て来たのは、入院した翌日《あくるひ》の晩方であった。お庄はその日、朝はやく手廻りのものを少し取り纏《まと》めて、それを持って病院へ行った。病室には、糺が知合いの医員に話して、自由を利《き》かせて、特別に取り入れた寝台のうえに、叔父が一人、毛布を着てごろりと転がっていた。床《ゆか》の上には、蓙《ござ》を敷いて幸さんも寝ていた。看護婦と雑仕婦とが、体温を取ったり、氷の世話をしたりしている。朝の病院は、どの部屋もまだ静かであった。
叔父と幸さんとは、食堂の方で、賄《まかな》いか
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