へ入って行った。
四十二
叔父にお庄と植木屋と、この三人が翌日に死んだ赤子を谷中《やなか》の寺へ送って、午過《ひるす》ぎに帰って来ると、母親は産婦に熱が出たと言って、心配そうに一同を待っていた。
「……それに昨夜《ゆうべ》から見ると、また今朝水気が出たようでね。重い病が体にあれば、かえってお産が軽いと言うくらいのものだから、まだまだ安心は出来まいよ。」
母親は叔父の着換えなどを、そっと奥から取り出して来て、そこへ脱ぎ棄てられた白足袋の赭土《あかつち》を、早速|刷毛《はけ》で落しなどした。
産婦は疲れた顔をこっちへ向けて、縁側へ出て羽織の埃を払ったり、汗ばんだ襦袢《じゅばん》を軒に干したりしている人々の姿を、じろじろと眺めていた。
「皆さん御苦労でしたね。」と、その口から呻吟《うめ》くような声も洩れた。
「それでお庄ちゃんどうでした、坊さんはよくお経を読んでくれましたか。」産婦はお庄の覗《のぞ》く顔に、淋しく微笑《ほほえ》んで見せたが、目に涙が浮んでいた。
「ええ、もう長いあいだ……。」と、お庄は浴衣《ゆかた》に着換えながら、ぽきぽきした顔をして、紅入りメリンスの帯を締めていた。
「お墓はどんなとこだかね……癒《なお》ったらお庄ちゃんに連れてってもらって、お詣《まい》りをしてやりましょうよ。そして小さい石塔を建ってやりましょう。闇《やみ》から闇って言うのは、ほんとうにあのことだわね。」産婦は泣くような声で言っていた。
壺は植木屋の幸さんが、紐《ひも》で首から下げて持って行った。その後へ叔父とお庄の俥が続いた。三人は帰りに蓮《はす》の咲いている池の畔《はた》を彷徨《ぶらつ》きながら、広小路で手軽に昼飯などを食ったのであった。お庄は久しぶりで、こんな晴々《せいせい》したところを見ることが出来た。
二時ごろに、昨夜《ゆうべ》の医師《いしゃ》が来て診て行った。医師は首を傾《かし》げながら、叮寧《ていねい》な診察のしかたをしていたが、別に深い話もしなかった。少し血脚気《ちがっけ》の気味もあるようだし、産褥熱《さんじょくねつ》の出たのも気にくわぬが、これでどうかこうか余病さえ惹《ひ》き起さなければ、大して心配することもなさそうだと言って局部へ手当てを施し、新しい処方などを書きつけて置いて行った。
この医師《いしゃ》から、病人が見放されたのは、それから八
前へ
次へ
全137ページ中66ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング