い出そうとしても何の印象も残っていなかった。お庄はその着物を見ながら、げらげら笑い出した。三十にもなって、まだ初産《ういざん》のような騒ぎをしている叔母の様子がおかしかった。
「四十になって初産する人だって、世間には随分ありますよ。お庄ちゃんだってなにかと言ってるうちに、もうじき三十ですよ。」
「三十ですって……。」お庄はあまり嵩高《かさだか》なような気がして、そんな年数《としかず》の考えが、どうしても頭脳《あたま》へ入らなかった。
「私三十なんて厭ですね。」
「厭だってしかたがない、もう目擦《めこす》る間《ま》だから。それにお嫁にでも行って自分で世帯を持ってごらん、それこそすることは多くなって来るし、苦労は殖えるばかりだし、年を拾うのがおかしいくらい早いものですよ。」
 産婆が、手提鞄《てさげ》をさげてやって来ると、叔母は四畳半の方へ自分で蒲団を延べて、診てもらった。
「男か女か、まだ解りませんかね。」叔母は腹を擦《さす》っている産婆に気遣《きづか》わしげに訊《き》いた。
 お庄は手洗い水を持って行って、襖《ふすま》の蔭で聞いていた。
「そうね、解らないこともありませんよ、まア男と思っていらっして下さいませ。何しろ大きゅうございますからね。おおこの動くこと。」と、九州訛《きゅうしゅうなま》りのあるその産婆は、これが手、これが肩などと言って、一々妊婦の手に触らせていた。
「六月《むつき》やそこいらで、そう育っているのでは、お産がさぞ重いでしょうね。」叔母はまた自分の年取っていることを気にした。
「そんなことがあるもんですか。少しぐらい体が弱っていたって、私が大丈夫うまく産ませておあげ申しますから……それにあなたは初産《ういざん》じゃないのですからね。年取ってからの初産は少し辛《つろ》うございますよ。」
 産婆は象牙《ぞうげ》に赭《あか》く脂《あぶら》の染み込んだ聴診器を鞄にしまい込むと、いろいろのお産の場合などを話して聴かせた。畸形《かたわ》や双児《ふたご》を無事に産ませた話や、自分で子宮出血を止めたという手柄話などが出た。
 叔父は苦い顔をして、座敷の縁の方に新聞を見ていた。叔母が妊娠と解ってから、夫婦はまだ見ない子のことを、いろいろに考えていた。が、叔父は時々自分の年とその子の年とを繰って見たりなどした。
「もう晩《おそ》い、私が五十七になってやっと二十《はたち
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