だか……。」と、叔母も業腹《ごうはら》のような笑い方をした。
「好きというでもないけれど……。」と、母親はやっと性がついたような顔をあげた。
お庄はせッせと札を匣《はこ》へしまい込んで、蒲団《ふとん》の上に置いた。まだ寝るには早かった。三人は別の部屋へ散って行った。
母親は、茶の間の方で、また針箱を拡げはじめた。するうちに、叔父が講釈の寄席《よせ》から帰って来た。
淋しくなると、叔父はよくお庄を引っ張り出して、銀座の通りへ散歩に出かけた。芝居や寄席のような、人の集まりのなかへも入って行ったが、傷《て》を負ったようなその心は、何に触れても、深く物を考えさせられるようであった。お庄は高座の方へ引き牽けられている叔父の様子を眺めると、いたましいような気がしてならなかった。叔父の横顔には、四十前とは思えぬくらい、肉の衰えが目に立った。
「私も、もう一度は盛り返してみせるで、その時は、お前にだって立派な支度をしてくれる。」と、叔父は通りの陳列などを見て行きながらいいわけらしくお庄に言って聴かせた。
築地で掛りつけの医師に、局部を洗ってもらっていた叔母の妊娠だということが、間もなくその医師にも感づけて来た。叔母はまた日本橋の婦人科の医師に診《み》てもらった。
「こんなものをむやみと洗っちゃたまらない。確かに妊娠です。もう四ヵ月になっています。」その医師は断言した。
去年の夏のような水気が、また叔母の手足に張って来た。陽気が暖かくなるにつれて、体がだんだん重くなって来た。産をするまでは、荒い療治もしかねる局部の爛《ただ》れが、拡がって来るばかりであった。叔母は聞いていても切なそうな呻吟声《うなりごえ》を挙げて、夜も寝られない大きな体を床の上に転がっていた。
四十
箪笥《たんす》の抽斗《ひきだし》のなかに、赤子に着せる白や赤や黄のような着物が、一枚一枚数が殖えて来る時分に、叔母の体もだんだん重くなって来た。叔母はほとんど十年目で三度目の出産に逢うのであった。始末のよい叔母は、田舎住居《いなかずまい》のそのころから持ち越して来た、茜木綿《あかねもめん》や麻の葉の型のついた着物をまた古葛籠《ふるつづら》の底から引っ張り出して来て眺めた。産れて百日生きていた子供のために拵えたという、節の多い田舎織りの黒斜子《くろななこ》の紋附などもあった。こんな子供の顔は、今想
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