主婦《あるじ》は落ち着いて酒も飲んでいなかった。そしてじろじろ子供たちの顔を見ながら、「為さあはこれから何をするつもりだか知らねえが、こう大勢の口を控えていちゃなかなかやりきれたものじゃない、一日でも遊んでいれアそれだけ金が減って行くで。」
父親は平手《ひらて》で額を撫《な》であげながら、黙っていた。父親の気は、まだそこまで決まっていなかった。行《や》って見たいような商売を始めるには、資本《もと》が不足だし、躯《からだ》を落して働くには年を取り過ぎていた。どうにかして取り着いて行けそうな商売を、それかこれかと考えてみたが、これならばと思うようなものもなかった。
「私《わし》も考えていることもありますで、まア少しこっちの様子を見たうえで。」と、父親はあまりいい顔をしなかった。
「相場でもやろうちゅうのかえ。」主婦《あるじ》はニヤニヤ笑った。
「そんなことして、摺《す》ってしまったらどうする気だえ。私《わし》はまア何でもいいから、資本《もと》のかからない、取着きの速いものを始めたらよかろうかと思うだがね。」
父親は聴きつけもしないような顔をしていた。
「それに一昨日《おととい》神田の方で、少し頼んでおいた口もありますで。」
「そうですかえ。けど、そんな人頼みをするより、いっそ誰にでも出来る氷屋でも出せアいいに。氷屋で仕上げた人は随分あるぞえ。綺麗事《きれいごと》じゃ金は儲《もう》からない。」
「氷屋なぞは夏場だけのもんですッて。第一あんなものは忙《せわ》しいばっかりで一向儲けが細い。」
母親も心細いような気がしだした。氷屋をするくらいならば……とも思った。
五
「田舎ッぺ、宝ッぺ、明神さまの宝ッぺ。」と、よく近所の子供連に囃《はや》されていたお庄の田舎訛《いなかなま》りが大分|除《と》れかかるころになっても、父親の職業はまだ決まらなかった。
父親は思案にあぐねて来ると、道楽をしていた時分|拵《こしら》えた、印伝《いんでん》の煙草入れを角帯の腰にさして、のそのそと路次を出て行った。行く先は大抵決まっていた。下宿屋の主婦《あるじ》にがみがみ言われるのが厭なので、このごろはその前を多くは素通りにすることにしていた。そして蠣殻町《かきがらちょう》の方へ入り込んでいる。村で同姓の知合いを、神田の鍛冶町《かじちょう》に訪《たず》ねるか、石川島の会社の方へ出て
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