気も何だか知れやしないて風評《うわさ》をする人もあるそうで……。」と、母親は帰った晩に弟夫婦やお庄の前で話した。
「そんな莫迦《ばか》なことがあるもんで。」と、叔父は笑った。
「そうすれば、院長の祖母さんところへ入り浸っている義兄《あに》さんなぞも危いわけじゃないか。」
「それだで私も気味が悪くて、帰っているうちに一度もあの人と行き逢わずしまったに。」と母親は親のようなその婆さんのところへ浸《つか》っている良人のことを悪く言い立てた。
お庄は父親が、いつのまにあのお婆さんとそんな関係になったものかと、恥じもし惘《あき》れもして聞いていた。
「お庄も、野口屋で貰いたいなどという話もあったけれども、あすこへくれるくらいなら、まだやるところもあろうと思ってね。」と、母親はお庄の顔をまじまじ見ながら言い出した。その家は、村で呉服物などを商う家だということを、お庄も思い出した。お庄は自分の帯など買う時に、その店から板に捲いたなりの長い友禅片《ゆうぜんぎれ》などを、そこの亭主が担ぎ込んで来て、納戸《なんど》で母親があれこれと柄を見立てていたことなどを想い出すと、ばかばかしいような気がした。
「あすこも近ごろは身上《しんしょう》を作ったそうで、良人《おやじ》からお庄をくれてやろうかなんて言ってよこしましたけれど、私は返事もしましねえ。」母親が父親のことを怒っている風がお庄にもおかしく思われた。
「お庄はまた会社の方で、くれろと言うものもあるで、少し裁縫でも上手になったら、私《わし》が東京で片づける。」と、叔父は自分の目算を話した。
お庄の縁談は、そのころもないことではなかった。小原という男なども、その胆煎《きもい》りの一人であった。お庄を見に、小原と一緒に花など引きに来る男も一人二人あった。
叔母が湯治に行く時、叔父も湯治場まで送って行って二、三日|逗留《とうりゅう》した。
叔母がいなくなると、その日その日の経営を、お庄は叔父から委《まか》されることになった。
お庄は長火鉢のところに坐って、世帯女のような気取りで、時々小遣い帳を拡げて拙《まず》い字でいろいろの出銭を書きつけた。
三十七
叔母は荒《さび》れた秋口の湯治場に、長く独りで留まっていられなかった。宿はめっきり閑《ひま》になって、広くて見晴しのよい部屋が幾個《いくつ》も空いていた。経費も何ほどもか
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