そんなものには太過ぎたし、手もしなやかに動く方ではなかったので、自分でも気がはずまなかった。
「わたし叔母さん駄目よ。」と、お庄は叔母が三味線を取り出すと、次の室《ま》へ逃げて行った。叔母は田舎風の節廻しで、独りで謳っていた。
叔母はお庄の欲しがるような大きな人形を買って来て、それに好みの衣裳《いしょう》を縫って着せなどした。向うの子供を呼び込んで、玩具《おもちゃ》を買って懐《なつ》かしたり芝居の真似をさしておかしがったりしていたが、厭味なほどませたその子供は、お庄に馴染《なじ》んで、夜も一緒に抱かれて寝た。お庄は子供を負《おぶ》って日に幾度となく自分の家と向うの家とを往復した。
金毘羅《こんぴら》で講元をしていた大きな無尽の掛け金を持って、お庄は取り縋《すが》るこの子供を負《おぶ》いながら、夕方から出かけて行った。ここから金毘羅まではかなりの道程《みちのり》であった。お庄は鉄道馬車で行けるところまで乗って、それからえッちらおッちら歩いて行った。その晩は銀座の地蔵の縁日であった。お庄は帰りにそっちへ廻って、人込みのなかを子供を負ったり歩かせたりして彷徨《ぶらつ》いていた。土の臭《にお》いと油煙と人瘟気《ひといきれ》とで、呼吸《いき》のつまりそうな通りをおりおり涼しい風が流れた。お庄は背《せなか》や股《もも》のあたりにびっしょり汗を掻きながら、時々蓄音機の前や、風鈴屋の前で足を休めて、背《せなか》で眠りかける子供を揺り起した。汚い三尺に草履《ぞうり》を突っかけた職人などが、幾度となくお庄の顔を覗いて行った。「こんなに若くて子持ちかい。」などと大声に言って、後から押して来る連中もあった。
帰って子供を卸《おろ》してから、お庄は袂《たもと》のなかに悪戯《いたずら》されたことにやっと気がついた。
翌日お庄は、涼しい朝のうちに、水口の外へ盥《たらい》を持ち出して、外の浴衣と一緒に昨夜《ゆうべ》の汚れものの洗濯をしていた。手拭を姉さん冠《かぶ》りにして着物を膝までまくって、水を取り替え取り替え滌《すす》いでいた。そこへ腹掛けに半纏《はんてん》を着込んだ十三、四の子供が、封書のようなものを持って来た。そして、「……公が、ちょっとこれを見て下さいッて。」と言ってお庄に手渡した。
「変な小僧さんが、こんなものをくれましたよ。」とお庄は前垂で手を拭き拭き上へあがって、叔父の前へ
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