き合わせながら、目にちらちらする花札を手にした。鶴二は後の方で今日の日記を小さい手帳に書きつけていた。
 叔父が奥から、のそりと起き出して来たころには、花も大分進んでいた。
 叔父はお庄の背後《うしろ》の方に坐り込むと、時計を見あげて懈《だる》い欠をしていた。時計はもう九時を過ぎていた。
「そんな手で出るというのがあるものか、お庄は花を知らないかい。」叔父はお庄の肩越しに覗き込んで、煙管を咬《くわ》えながら一ト勝負後見した。
 やがて叔父が褞袍《どてら》を羽織って、連中の間へ割り込むと、お庄は席をはずれて、酒の燗《かん》をしたり、弟と二人で寒い通りへ衆《みんな》の食べる物を誂《あつら》えに走ったりした。
 花札の音が夜遅くまで、籠《こも》った部屋に響いた。

     三十三

 去年薬くさい日本橋で過した初夏《はつなつ》を、お庄は今年築地の家で迎えた。浅草から荷物を引き揚げて来たころから見ると、叔父の体は一層忙しくなっていたし、家も景気づいていたのだ。お庄も叔父が見立ててくれた新しい浴衣《ゆかた》などを着せられて、夕化粧をして、叔母と一緒に鉄砲洲《てっぽうず》の稲荷《いなり》の縁日などへ出かけた。
 叔母はどこへ行っても、気の浮き立つというようなことはなかった。好きな芝居を見に行っても、始終家のことを気にかけていた。お庄は倹約家《しまりや》の叔母が、好きな狂言があるとわざわざ横浜まで出向いてまで見に行くのを不思議に思った。たび重なると叔母は袋へ食べ物などを仕入れて行ってお庄と二人で大入り場で済まして来ることもあった。
 家にいると、仕立てものをするか、三味線を弾《ひ》くかして、やっと日を暮したが、そうしていてもやはり心が淋しそうであった。
「私は子がないので真実《ほんとう》につまらない。」お庄と二人で裁物板《たちものいた》に坐っている時、叔母は気が鬱《ふさ》いで来るとしみじみ言い出した。
「お庄ちゃんを貰って養子でもしようかね。」叔母は時々そんなことも考えた。そして親身《しんみ》になって着物の裁ち方や縫い方を教えた。少しは糸道が明いているのだからといって、三味線も教えてくれた。お庄は体の大きい叔母と膝を突き合わして、湯島の稽古屋《けいこや》で噛《かじ》ったことのある夕立の雨や春景色などを時々一緒に謳《うた》った。叔母の知っている端唄《はうた》なども教わったが、声が
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