っていた。私の子供たちはまた彼ら自身であればいいわけであった。そして若い時から兄夫婦に育てられていた義姉(兄の妻)の姪《めい》に桂三郎という養子を迎えたからという断わりのあったときにも、私は別に何らの不満を感じなかった。義姉自身の意志が多くそれに働いていたということは、多少不快に思われないことはないにしても、義姉自身の立場からいえば、それは当然すぎるほど当然のことであった。ただ私の父の血が絶えるということが私自身にはどうでもいいことであるにしても、私たちの家にとって幾分寂しいような気がするだけであった。もちろんその寂しい感じには、父や兄に対する私の渝《か》わることのできない純真な敬愛の情をも含めないわけにはいかなかった。それは単純な利害の問題ではなかった。私が父や兄に対する敬愛の思念が深ければ深いほど、自分の力をもって、少しでも彼らを輝かすことができれば私は何をおいても権利というよりは義務を感じずにはいられないはずであった。
しかしそのことはもう取り決められてしまった。桂三郎と妻の雪江との間には、次ぎ次ぎに二人の立派な男の子さえ産まれていた。そして兄たち夫婦の撫育《ぶいく》のもとに、五つと三つになっていた。兄たち夫婦は、その孫たちの愛と、若夫婦のために、くっくと働いているようなものであった。
もちろん老夫婦と若夫婦は、ひととおりは幸福であった。桂三郎は実子より以上にも、兄たち夫婦に愛せられていた。兄には多少の不満もあったが、それは親の愛情から出た温かい深い配慮から出たものであった。義姉はというと、彼女は口を極めて桂三郎を賞めていた。で、また彼女の称讃に値いするだけのいい素質を彼がもっていることも事実であった。
とにかく彼らは幸福であった。雪江が私の机の側へ来て、雑誌などを読んでいるときに、それとなく話しかける口吻《こうふん》によってみると、彼女には幾分の悶《もだ》えがないわけにはいかなかった。学校を出てから、東京へ出て、時代の新しい空気に触れることを希望していながら、固定的な義姉(彼女の養母で叔母)の愛に囚《とら》われて、今のような家庭の主婦となったことについては、彼女自身ははっきり意識していないにしても、私の感じえたところから言えば、多少|枉屈的《おうくつてき》な運命の悲哀がないことはなかった。彼女はその真実の父母の家にあれば、もっと幸福な運命を掴みえたかも
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