る。お前さんとこの親方は威勢がいいばかりで、肴《さかな》は一向新しくないとか、刺身の作り方が拙《まず》くてしようがないとかいう小言もあった。
お作は嫂と一緒に、お客にでも来たように、火鉢を一尺も離れて、キチンと坐って聞いていた。
「それじゃね、晩にお刺身を一人前……いいかえ。」と言って、お国は台所の棚へ何やら収《しま》い込んでから、茶の室《ま》へ入って来た。軟《やわら》かものの羽織を引っ被《か》けて、丸髷《まるまげ》に桃色の手絡《てがら》をかけていた。生《は》え際《ぎわ》がクッキリしていて、お作も美しい女だと思った。
お国は、キチンと手を膝に突いている二人の姿を見ると、
「オヤ。」とびっくりしたような風をして、
「何てえんでしょう、私ちっとも知りませんでしたよ。それでも、もうそんなに快《よ》くおなんなすって。汽車に乗ってもいいんですか。」と火鉢の前に座を占めて、鉄瓶を持ちあげて、火を直した。
「え、もう……。」とお作は淋しい笑顔《えがお》を挙げて、「まだ十分というわけには行きませんけれど……。」と嫂の方を向いて、「姉さん、この方が小野さんのお内儀《かみ》さん……。」
「さようでございますか。」と姉が挨拶しようとすると、お国はジロジロその様子を眺めて、少し横の方へ出て、洒々《しゃあしゃあ》した風で挨拶した。そうして菓子を出したり、茶をいれたりした。
「あなたも流産なすったんですってね。私一度お見舞いに上ろうと思いながら……何《なん》しろ手が足りないんでしょう。」
お作は嫂と顔を見合わしてうつむいた。
「暮だって、お正月だって、私一人きりですもの。それに新さんと来たら、なかなかむずかしいんですからね……。マアこれでやっと安心です。人様の家を預かる気苦労というものはなかなか大抵じゃありませんね。」
「真実《ほんとう》にね。」とお作は赤い顔をして、気の毒そうに言った。「どうも永々済みませんでした。」
お作はしばらくすると、着物を着替えて、それから台所へ出た。お国は、取っておいた鯵《あじ》に、塩を少しばかり撒《ふ》って、鉄灸《てっきゅう》で焼いてくれとか、漬物《つけもの》は下の方から出してくれとか、火鉢の側から指図がましく声かけた。お作は勝手なれぬ、人の家にいるような心持で、ドギマギしながら、昼飯《ひる》の支度にかかった。
飯時分に新吉が帰って来た。新吉はお作の顔
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