夙《はや》く、寝込みに踏み込まれて、ろくろく顔を洗う間もなく引っ張られて行った始末を詳しく話した。小野はむっくり起き上ると、「拘引されるような覚えはない。行けば解るだろう。」と着物を着替えて、紙入れや時計など持って、刑事に従《つ》いて出た。
「なあに何かの間違いだろう。すぐ帰って来るから心配するなよ。」とオロオロするお国をたしなめるように言ったが、出る時は何だか厭な顔色をしていた。それきり何の音沙汰《おとさた》もない。昨夜《ゆうべ》は一ト晩中寝ないで待ったが、今朝になっても帰されて来ぬところを見ると、今日もどうやら異《あや》しい。何か悪いことでもして未決へでも投《ぶ》ち込まれているのではなかろうか。刑事の口吻《くちぶり》では、オイそれと言って出て来られそうな様子も見えなかったが……。
「一体どうしたんでしょう。」とお国は、新吉の顔に不安らしい目を据《す》えた。
「サア……。」と言って新吉は口も利かず考え込んだ。
 お国の目は一層深い不安の色を帯びて来た。「小野という男は、どういう人間なんでしょうか。」
「どんなって、つまりあれッきりの人間だがね……。」とまた考え込む。
「すると何かの間違いでしょうか。間違いなら嫌疑《けんぎ》とか何とかそう言って連れて行きそうなもんじゃありませんかね。」とお国は馴《な》れ馴れしげに火鉢に頬杖《ほおづえ》をついた。
「解んねえな。」と新吉も溜息を吐《つ》いた。「だが、今日は帰って来ますよ。心配することはねえ。」
「でも、あの人の田舎の裁判所から、こっちへ言って来たんだそうですよ。刑事がそう言っていましたもの。」とお国は一層深く傷口に触《さわ》るような調子で、附け加えた。
「だから、私何だか変だと思うの。田舎で何か悪いことをしてるんじゃないかと思って。」と猜疑深《うたぐりぶか》い目を見据えた。
「田舎のことア私《あっし》にゃ解んねえが、マアどっちにしても、今日は何とか様子が解るだろう。」
 新吉の頭脳《あたま》には、小野がこのごろの生活《くらし》の贅沢《ぜいたく》なことがじきに浮んで来た。きっと危《あぶな》いことをしていたに違いないということも頷かれた。「だから言わねえこッちゃない。」と独りでそう思った。
 お国は十二時ごろまで話し込んでいた。話のうちに新吉は二度も三度も店へ起《た》った。お国は新吉の知らない、小野の生活向《くらしむ》きの
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