、お袋や兄貴に話をして、子供でも産んでしまったら、離縁話でも持ちあがるか、どうせこのままで収まりッこはありゃしない。どうでも勝手にするがいいや。」と自分で笑いつけた。モヤモヤする胸の中《うち》が、抑えきれぬという風も見えた。
「そうでもねえんさ。」と小野は自分で頷《うなず》いて、「女は案外我慢強いもんさ。こっちから逐《お》ん出そうたって、出て行くものじゃありゃしねえ。」
「どうして、そうでねえ。」新吉は目眩《まぶ》しそうな目をパチつかせた。「君にゃよくしてるし、客にも愛想はいいし、己ンとこの山の神に比べると雲泥《うんでい》の相違だ。」
二人顔を合わすと、いつでもこうした噂が始まる。小野はいかにも暢気《のんき》らしく、得意そうであった。小野が帰ってしまうと、新吉はいつでも気の脱けた顔をして、つまらなそうに考え込んでいる。何や彼や思い詰めると、あくせく働く甲斐《かい》がないようにも思われた。
忙《せわ》しい十二月が来た。新吉の体と頭脳《あたま》はもうそんな問題を考えている隙《ひま》もなくなった。働けばまた働くのが面白くなって、一日の終りには言うべからざる満足があって、枕に就くと、去年から見て今年の景気のいいことや、得意場の殖えたことを考えて楽しい夢を結んだ。この上不足を言うところがないようにも思われた。
「少し手隙《てすき》になったら、一度お作を訪ねて、奴にも悦《よろこ》ばしてやろう。」などと考えた。
十八
ある朝新吉が、帳場で帳面を調べていると、店先へ淡色《うすいろ》の吾妻《あずま》コートを着た銀杏返《いちょうがえ》しの女が一人、腕車《くるま》でやって来た。それが小野の内儀さんのお国であった。
お国は下町風の扮装《つくり》をしていた。物のよくないお召の小袖に、桔梗《ききょう》がかった色気の羽織を着て、意気な下駄をはいていた。女は小作りで、清《すず》しいながら目容《めつき》は少し変だが、色の白い、ふッくらとした愛嬌《あいきょう》のある顔である。
「御免下さい。」と蓮葉《はすは》のような、無邪気なような声で言って、スッと入って来た。そこに腰かけて、得意先の帳面を繰っていた小僧は、周章《あわ》てて片隅へ避《よ》けた。新吉は筆を耳に挟《はさ》んだまま、軽く挨拶した。
「新さん、マア大変なことが出来ちゃったんです。」女は菓子折の包みをそこに置くと、ショール
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