萄酒《ぶどうしゅ》などを鞄《かばん》の隅《すみ》へ入れてやった。
「そのうちには己も行くさ。」
「真実《ほんとう》に来て下さいよ。」お作は出遅れをしながら、いくたびも念を推した。

     十六

 お作が行ってから、新吉は物を取り落したような心持であった。家が急に寂しくなって、三度三度の膳に向う時、妙にそこに坐っているお作の姿が思い出される。お作を毒づいたことや、誹謗《へこな》したことなどを考えて、いたましいようにも思った。何かの癖に、「手前《てめえ》のような能なしを飼っておくより、猫の子を飼っておく方が、はるかに優《まし》だ。」とか、「さっさと出て行ってくれ、そうすれば己も晴々《せいせい》する。」とか言って呶鳴った時の、自分の荒れた感情が浅ましくも思われた。けれど、わざわざお作を見舞ってやる気にもなれなかった。お作から筆の廻らぬ手紙で、東京が恋しいとか、田舎は寂しいとか、体の工合が悪いから来てくれとか言って来るたんびに、舌鼓《したうち》をして、手紙を丸めて、投《ほう》り出した。お袋に兄貴、従妹《いとこ》、と多勢一緒に撮《と》った写真を送って来た時、新吉は、「何奴《どいつ》も此奴《こいつ》も百姓面《ひゃくしょうづら》してやがらア。厭になっちまう。」と吐き出すように言って、二タ目とは見なかった。
 そのころ小野が結婚して、京橋の岡崎町に間借りをして、小綺麗な生活《くらし》をしていた。女は伊勢《いせ》の産《うま》れとばかりで、素性《すじょう》が解らなかった。お作よりか、三つも四つも年を喰っていたが様子は若々しかった。
「君の内儀《かみ》さんは一体何だね。」と新吉は初めてこの女を見てから、小野が訪《たず》ねて来た時不思議そうに訊いた。
「君の目にゃ何と見える。」小野はニヤニヤ笑いながら、悪こすそうな目容《めつき》をした。
「解んねえな。どうせ素人《しろうと》じゃあるめえ。莫迦《ばか》に意気な風だぜ、と言って、芸者にしちゃどこか渋皮の剥《む》けねえところもあるし……。」
「そんな代物《しろもの》じゃねえ。」と小野は目を逸《そら》して笑った。
 小野は相変らず綺麗な姿《なり》をしていた。何やらボトボトした新織りの小袖に、コックリした茶博多《ちゃはかた》の帯を締めて、純金の指環など光らせていた。持物も取り替え引き替え、気取った物を持っていた。このごろどこそこに、こういう金時
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