ほど伸びをする。
「もう親父《おやじ》になるのかな。」とその腕を擦《こす》っている。
「早いものですね、まるで夢のようね。」とお作もうっとりした目をして、媚《こ》びるように言う。「私のような者でも、子が出来ると思うと不思議ね。」
二人はそれから婚礼前後の心持などを憶い出して、つまらぬことをも意味ありそうに話し出した。こうした仲の睦《むつ》まじい時、よく双方の親兄弟の噂《うわさ》などが出る。親戚《みうち》の話や、自分らの幼《ちいさ》い折の話なども出た。
「お産の時、阿母《おっか》さんは田舎へ来ていろと言うんですけれど、家にいたっていいでしょう。」
時計が一時を打つと、お作は想い出したように、急いで床を延べる。新吉に寝衣《ねまき》を着せて床の中へ入れてから、自分はまたひとしきり、脱棄《ぬぎす》てを畳んだり、火鉢の火を消したりしていた。
二、三日はこういう風の交情《なか》が続く。新吉はフイと側へ寄って、お作の頬《ほお》に熱いキスをすることなどもある。ふと思いついて、近所の寄席《よせ》へ連れ出すこともあった。
が、そうした後では、じきに暴風《あらし》が来る。思いがけないことから、不意と新吉の心の平衡が破れて来る。
「……少し甘やかしておけア、もうこれだ。」と新吉は昼間火鉢の前で、お作がフラフラと居眠りをしかけているのを見つけると、その鼻の先で癪《しゃく》らしく舌打ちをして、ついと後へ引き返してゆく。
お作はハッと思って、胸を騒がすのであるが、こうなるともう手の着けようがない。お作の知恵ではどうすることも出来なくなる。よくよく気が合わぬのだと思って、心の中《うち》で泣くよりほかなかった。新吉の仕向けは、まるで掌《て》の裏《うら》を翻《かえ》したようになって、顔を見るのも胸糞《むねくそ》が悪そうであった。
秋の末になると、お作は田舎の実家《さと》へ引き取られることになった。そのころは人並みはずれて小さい腹も大分目に立つようになった。伝通院前の叔母が来て、例の気爽《きさく》な調子で新吉に話をつけた。
夫婦間の感情は、糸が縺《もつ》れたように紛糾《こぐらか》っていた。お作はもう飽かれて棄てられるような気もした。新吉はお作がこのまま帰って来ないような気がした。お作はとにかくに衆《みんな》の意嚮《いこう》がそうであるらしく思われた。
新吉は小使いを少し持たして、滋養の葡
前へ
次へ
全49ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング