。酒の割法《わりかた》が間違ったり、高い醤油《したじ》を安く売ることなどはめずらしくなかった。帳面の調べや、得意先の様子なども、一向に呑み込めなかった。呑み込もうとする気合いも見えなかった。
 そんなことがいくたびも重なると、新吉はぷりぷりして怒った。
「此奴《こいつ》はよっぽど間抜けだな。商人の内儀《かみ》さんが、そんなこッてどうするんだ。三度三度の飯をどこへ食ってやがんだ。」
 優しい新吉の口からこういう言葉が出るようになった。
 お作は赤い顔をして、ただニヤニヤと笑っている。
「ちょッ、しようがねえな。」と新吉は憤《じ》れったそうに、顔中を曇らせる。「己《おら》ア飛んだ者を背負い込んじゃったい。全体和泉屋も和泉屋じゃねえか。友達がいに、少しは何とか目口の明いた女房を世話しるがいいや。媒人口《なこうどぐち》ばかり利きあがって……これじゃ人の足元を見て、押附《おっつ》けものをしたようなもんだ。」とブツブツ零《こぼ》している。
 お作は、泣面《べそ》かきそうな顔をして、術なげにうつむいてしまう。
「明日《あした》から引っ込んでるがいい。店へなんぞ出られると、かえって家業の邪魔になる。奥でおん襤褸《ぼろ》でも綴《つづ》くッてる方がまだしも優《まし》だ。このくらいのことが勤まらねえようじゃ、どこへ行ったって勤まりそうなわけがない。それでよくお屋敷の奉公が勤まったもんだ。」
 罵《ののし》る新吉の舌には、毒と熱とがあった。
 お作の目からはポロポロと熱い涙が零れた。
「私は莫迦ですから……。」とおどおどする。
 新吉は急に黙ってしまう。そうしてフカフカと莨を喫《ふか》す。筋張ったような顔が蒼くなって、目が酔漢《よっぱらい》のように据わっている。口を利く張合いも抜けてしまうのだが、胸の中はやっぱり煮えている。
 こう黙られると、お作の心はますますおどおどする。
「これから精々気をつけますから……。」と顫《ふる》え声で詫《わ》びるのであるが、その言《ことば》には自信も決心もなかった。ただ恐怖があるばかりであった。

     十一

 こんなことのあった後では、お作はきっと奥の六畳の箪笥の前に坐り込んで、針仕事を始める。半日でも一日でも、新吉が口を利けば、例の目尻や口元に小皺《こじわ》を寄せた。人のよさそうな笑顔を向けながら、素直に受答えをするほか、自分からは熟《う》んだ柿が
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