にしてるよ。松公はもと/\此方《こつち》の弟子ぢやないか。其をお前が引張込んで、散々《さんざ》ツぱら巫山戯《ふざけ》た眞似《まね》をして置いて……』と未《ま》だ何か毒づかうとしたが、急に周圍《あたり》に氣がつくと、低聲《こごゑ》になつて、『風《ふう》が惡いよお前は……。』
お大は急に行詰つて、『アヽ何とでも言ふが可《い》い。私《わたし》が風《ふう》が惡いんだよ。』
『其にお前、昨夜《ゆふべ》も宵の口にお前の宅《うち》の前を通つたら、直《ぴつた》り戸を締めて、隣の洗濯屋の婆さんに聞いたら、其前の晩から歸らないつて言つてたよ。肝腎《かんじん》の稼業《かげふ》のお稽古もしないで、色情《さかり》のついた犬みたやうに、一體|何處《どこ》を彷徨《うろつ》いて歩いてゐるんだよ。』
床屋は又ウフヽと笑ふ。
『お大さん、何だか風向《かざむき》が惡いね。』
『何を言つてやがるんだよ。』とお大は血走つたやうな目で床屋を睨《ねめ》つけ、肉と血とで脹《ふく》らんだ頬を愈《いよい》よ脹《ふくら》ましたが、『何とでも言ふが可《い》いよ。口は重寶なものさ。』ともう焦燥《いら/\》して口が利《き》けず、口惜《くや》しさうに姉の顏を見詰めてゐる。
『それに其風《そのふう》は何だよ。』とお山は言ふだけの事は云つてやると云ふ風《ふう》で、『お前着物を如何《どう》お爲《し》なんだよ。此寒いのに、ベラ/\した袷《あはせ》かなんかで。其樣《そん》な姿《なり》で此邊を彷徨《うろ/\》しておくれでないよ、眞實《ほんとう》に外聞が惡いから。』
『フン、孰《どつち》が外聞が惡いんだらう。私や十歳《とを》の時から姉《ねえ》さんの御奉公してゐたんだよ。其で姉さんの手から、半襟《はんゑり》一|懸《かけ》くれたこともありやしないで。チヨツ利いた風《ふう》な事を言つてるよ。』
『其は、お前が、腕もありもしない癖に、妙に私に楯《たて》つくぢやないか。だから、私が、もう少し辛抱お爲《し》つて言つてるのに、お前が何《なん》でも彼《かん》でも一本立でやつて見せますつてんで……。』
『アヽ姉さんとこに一生お爨《さん》どんをして居たら可《い》いでせうけれどね……。』
お山は些《ちよツ》と時計を覗《のぞ》いて、『オヤもう四時だよ。お大、人を呼込んでおいて、用事は其限《それきり》かい。又|宅《うち》を明けてあるんだらうから、日の暮れないう
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