ち、早くお歸り。』とお山は言棄てて、コートの裾を※[#「寨」の「木」に代えて「衣」、第3水準1−91−84]《から》げながら、ゴタ/\した秋雨《あきさめ》の町を菊坂の方へ急いでゆく。
 お大は後で少時《しばらく》姉の惡口《わるくち》を言つてゐたが、此も日の暮に店を出て行く。
 狹い柳町の通は、造兵歸《ざうへいがへり》の職工で、※[#「赭のつくり/火」、第3水準1−87−52]《にえ》くり返るやうである。軒燈《けんとう》が徐々《そろ/\》雨の中から光出して、暖かい煙の這出《はひだ》して來る飯屋《めしや》の繩暖簾《なはのれん》の前には、腕車《くるま》が幾臺となく置いてある。お大は何處かの番傘を翳《さ》して、ブヨ/\した横肥《よこぶとり》の體を、町の片側からノソ/\と歩いてゐる。
 お大は姉と違つて、幼《ちひさ》い時分から苦勞性の女であつたが、糸道《いとみち》にかけては餘程鈍い方で、姉も毎日|手古摺《てこず》つて居た。其癖負けぬ氣の氣象《きしやう》で、加之《おまけに》喧嘩が好《すき》と來て居る。何か知ら始終不平を持つてゐる女で、其狹い額を見ても、曇然《どんより》した目のうちを見ても、何處か一癖ありさうな顏構《つらがまへ》である。
 別れて出たては至極《しごく》穩《おだや》かで、白山《はくさん》あたりから通つて來る、或|大工《だいく》と懇意になつて、其大工が始終長火鉢の傍《そば》に頑張つてゐた。朝から酒を飮み、日の暮れぬうちから寢込んで、二人とも夢中になつてゐたもので、少しばかり附いた弟子も、不殘《のこらず》見限つて離れてしまひ、肩を入れた近所の若い者も、直《ばつた》り足を絶つて了つた。がお大は一向平氣で居た。
 すると、此《この》夏頃から、松公といふ、色白の若い蕎麥屋《そばや》の出前《でまへ》を口説《くどき》落して、金《かね》(大工の名)の目を忍んで、チヨイ/\宅《うち》へ引張込むやうになつた。松公は無論本氣ではなかつたらしいが、女が容易に放さぬので、可厭々々《いや/\》ながらも自由になつてゐた。其事が何時《いつ》か薄々金《かね》の耳へ入つた。金《かね》の足は、何時かバツタリ絶えてしまふ。
 其樣《そん》な心算《つもり》ではなかつたから、お大は繁々《しげ/\》金《かね》へ呼出をかける。第一大切の米櫃《こめびつ》を亡《なく》して了つては、此先生活の道がないので、見かけによら
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