お大を臺所働《だいどころばたらき》やら、子供の守《もり》やら、時偶《ときたま》代稽古などにも使つて、頤《あご》で追※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]してゐたものが、今では妹の方が強くなり、町内の二三の若者が同情して、後楯《うしろだて》になつてくれたのを幸ひ、姉と大喧嘩をして、其まゝ別れ、別に一世帶構へることになつた。其以來二人は前世《ぜんせ》の敵《かたき》か何ぞのやうに仲が惡い。
 お山は二|歩《あし》三|歩《あし》進寄つて、『何だよ大きな聲で……芝居に行かうと、何に行かうと餘計なお世話ぢやないか。お前に不義理な借金を爲《し》てありやしまいし。』と言つて奧を窺込《のぞきこ》むと、丁度|凸凹《でこぼこ》なりの姿見の前で、職工風の一人の男の頭にバリカンをかけてゐる、頭髮《け》のモヂヤ/\した貧相な此《こゝ》の親方に、『今日《こんち》は。』と挨拶する。
 親方はガリ/\遣《や》りながら、『よく降るぢやござんせんか。今日は本郷座ですね。』
『ハア、今日はお義理でね。眞實《ほんとう》に方々引張られるんで、遣切《やりき》れやしない。今日あたり宅《うち》に寐轉《ねころ》んでる方が、いくら可《い》いか知れやしない。』
『巧《うま》く言つてるよ。』とお大は嫣然《につこり》ともしない。
 床屋はちよい/\お山の顏を見ながら『お山さんは、何時《いつ》でも引張凧《ひつぱりだこ》だからね。』
『誰が引張るもんか。』とお大は相變らず喧嘩腰で、焦燥《いら/\》しながら『子供に襤褸《ぼろ》を着せておいちや、年中役者騷ぎをしてゐるんぢやないか。亭主こそ好《い》い面の皮だ。』
『何だね此人は。然《さう》云ふお前は何だえ。』とお山は憎さげにお大の顏を見詰めて、『今日は酒にでも醉つてるんぢやないかい。可厭《いや》に人に突かゝるぢやないか。アヽ解つた、お前此頃|松公《まつこう》に逃《にげ》を打たれたと云ふから、其で其樣《そん》なに自棄糞《やけくそ》になつてるんだね。道理で目の色が變だと思つた。オヽ物騷々々!』
 床屋は『ウフヽ』と氣味の惡い笑方をする。
『大きにお世話だよ。』とお大は憤々《ぶり/\》して、『お氣毒《きのどく》さまだが、松公は此方《こつち》が見切をつけて縁を切つたんだよ。如彼《あんな》ひよつとこの一人や二人、欲しけりや何時《いつ》でも貴方《あなた》に上げますよ。』
『チヨツ莫迦《ばか》
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