松島と目と鼻の間の駒込《こまごめ》に、古くから大きな店を構えている石屋で、二月か三月に一度くらい、船で観音|参詣《さんけい》に来て、そのたびに人目につかぬ裏道にある鰻屋《うなぎや》などで彼女を呼び、帰りには小遣《こづかい》をおいて行った。そこはこの土地にしては、建物も庭も風流にできており、荒れたところに寂《さび》があった。小でッぷりした四十がらみの男で、山上の観音堂の前には、寄進の燈籠《とうろう》もあり、信心家であった。本所の家の隣のおじさんと、気分の似たところもあって、小菊には頼もしく思われ、来るのが待ち遠しかった。赤坂で披露目《ひろめ》をした時も一ト肩かつぎ、着物の面倒も見てくれた。小菊の姿にどこか哀れふかいところがあるので、石屋は色恋の沙汰《さた》を離れた気持で、附き合っているのだったが、それだけに小菊に人情も出て来るのであった。
しかし客はそればかりではなく、松島も気が揉《も》めるので、ここへ出てから二年目、前借もあらかた消えたところで、彼女は思い切って足を洗い、母や弟妹たちと一緒に、やがて湯島に一軒家をもったが、結局それも長くは続かず、松島の商売も赤字つづきで、仕送りも途絶えがちになったので、今度は方嚮《ほうこう》をかえ公園へ出た。小菊にすると、多勢の家族を控えて、松島一人に寄りかかっているのも心苦しかったが、世帯《しょたい》の苦労までして二号で燻《くすぶ》っているのもつまらなかった。
公園は客が種々雑多であった。会社員、商人、株屋、土木請負師、興行師に芸人、土地の親分と、小菊たちにはちょっと扱い馴《な》れない人種も多かった。それにあまり足しげく行かないはずであった松島も、ここは一層気の揉めることが多く、小菊は滅茶々々《めちゃめちゃ》に頭髪《あたま》をこわされたり、簪《かんざし》や櫛《くし》を折られたりしがちであった。
八
小菊が開けてまだ十年にもならないこの土地へ割り込んで来て、芸者屋の株をもち、一軒の自前となり、辿《たど》りつくべき処《ところ》へ辿りついて、やっとほっとした時分には、彼女もすでに二十一、二の中年増《ちゅうどしま》であり、その時代のことで十か十一でお酌《しゃく》に出た時のことを考えると、遠い昔しの夢であった。
松島という紐《ひも》ともいえぬ紐がついていて、彼女の浅草での商売は辛《つら》かったが、松島も気が気でなかった。しかし堅気にしておけばおいたで、目に見えない金が消え、先の生活の保証のつく当てもなく、ゴールのないレースを無限に駈《か》けつづけているに等しかった。それに湯島時代でも経験したように、女房が嗅《か》ぎつけ、葛藤《かっとう》の絶え間がなかった。何よりも生活それ自体が生産機能でなければならなかった。松島と小菊はいつもそのことで頭を悩ました。小料理屋、玉突き、化粧品店、煙草《たばこ》の小売店、そんな商売の利害得失も研究してみた。彼は洋服屋に懲り懲りした。次第にお客が羅紗《ラシャ》の知識を得たこと、同業者のむやみに殖《ふ》えたこと、他へは寸法の融通の利かない製品の、五割近くのものが、貸し倒れになりがちなので、金が寝てしまうことなどが、資本の思うようにならないものにとって脅威であり、とかく大きい店に押されるのであった。
「だから貴方《あなた》もぶらぶらしていないで、自分で裁断もやり、ミシンにかかればいいじゃありませんか。」
年上のマダムは言うのであった。彼女は近頃財布の紐を締めていた。
「大の男がそんなまだるいことがしていられますか。よしんばそれをやってみたところで、行き立つ商売じゃないよ。」
「第一あんな人がついていたんじゃ、いくら儲《もう》かったって追い着きませんよ。どうせ腐れ縁だから、綺麗《きれい》さっぱり別れろとは言いませんけれど、何とかあの人も落ち着き、貴方もそうせっせと通わないで月に二度とか三度とか、少し加減したらどうですかね。」
「むむ、おれも少し計画していることもあるんだがね。何をするにも先立つものは金さ。」
今までにマダムの懐《ふところ》から出た金も、少ない額ではなかった。今度はきっと清算するから、手切れがいるとか、今度は官庁の仕事を請け負い、大儲けをするから、利子は少し高くてもいいとか、松島の口車に載せられ、男への愛着の絆《きずな》に引かされ、預金を引き出し引き出ししたのだった。
彼女は松島と同じ家中の士族の家に産まれ、松島の従兄《いとこ》に嫁《とつ》いだとき、容色もよくなかったところから、相当の分け前を父からもらい、良人《おっと》が死んでから、株券や家作や何かのその遺産と合流し、一人娘と春日町《かすがちょう》あたりに、花を生けたり、お茶を立てたり、俳句をひねったりして、長閑《のどか》に暮らしていた。母に似ぬ娘は美形で、近所では春日小町と呼んでいたが、ある名門出の社会学者に片着いていたが、一人の女の子を残して急病で夭死《わかじに》し、彼女の身辺に何か寂しい影が差し、生きる気持が崩折《くずお》れがちであった。そんな折に亡夫の親類の松島が何かと相談に乗ってくれ、お茶を呑《の》みに寄っては、話相手になってくれた。松島も別に計画的にやった仕事ではなかったが、年上の彼女に附け込まれる弱点はあった。
育ちのいい彼女は、松島には姉のような寛容さを示し、いつとはなし甘く見られるようになり、愛情も一つの取引となってしまった。
今度も彼女は陶酔したように、うかうかと乗って、松島の最後の要求だと思えば、出してやらないわけに行かなかった。
つまり小菊に芸者屋を出さす相談であったが、彼女も最初に首をひねり、盗人《ぬすびと》に追い銭の感じがして、ぴったり来ない感じだったが、しかしその割り切れないところは何かの惑《まど》かしがあり、好いことがそこから生まれて来るように思えた。
「……そうすれば、今までのものも全部二倍にして返すよ。」
松島は言うのであった。彼女にも慾のあることは解《わか》っていた。
九
浅草ではちょうど芸者屋の出物も見つからず、小菊の主人と一直《いちなお》で朋輩《ほうばい》であった人が、この土地で一流の看板で盛っていて、売りものがあるから、おやりなさいといってくれるので、松島と小菊はそこへ渡りをつけ、その手引で店を開けることにした。
家号|披露目《びろめ》をしてから、一日おいて自前びろめをしたのだったが、その日は二日ともマダムの常子も様子を見に来て、自分は自分で角樽《つのだる》などを祝った。湯島時代に彼女は店の用事にかこつけ、二日ばかり帰らぬ松島を迎えに行き、小菊に逢《あ》ったこともあったが、逢ってみると挨拶《あいさつ》が嫻《しと》やかなので、印象は悪くなかった。それに本人に逢ってみると、自分の気持もいくらか紛らされるような気がして、それから少したってから、三人で上野辺を散歩して、鳥鍋《とりなべ》で飯を食い、それとなし小菊の述懐を聞いたこともあった。今度も相談相手は自分であり、後見のつもりで来てみたのだった。と看《み》ると玄関の二畳にお配りものもまだいくらか残っていて、持ちにきまった箱丁《はこや》らしい男が、小菊の帯をしめていた。彼女は鬢《びん》を少し引っ詰め加減の島田に結い、小浜の黒の出の着つけで、湯島の家で見た時の、世帯《しょたい》に燻《くすぶ》った彼女とはまるで別の女に見え、常子も見惚《みと》れていた。
「いらっしゃい。」
小菊はいやな顔もしず、着つけがすむとそこに坐って挨拶《あいさつ》した。
「今日はおめでとう。それにお天気もよくて。」
「今度はまたいろいろ御心配かけまして。」
小菊は懐鏡《ふところかがみ》を取り出して、指先で口紅を直しながら、
「でもいいあんばいに、こんな所が見つかりましたからね。」
「じゃ姐《ねえ》さん出かけましょう。」
箱丁が言うので、小菊も、
「どうぞごゆっくり。」
と言って、褄《つま》を取って下へおりた。
「いやどうも馴《な》れないことでてんてこまいしてしまった。しかしこれでまあ今夜から商売ができるわけだ。何しろフールスピイドで、家号披露目と自前びろめと一緒にやったもんだから。」
二階へ行こうというので、常子もお篠《しの》お婆《ばあ》さんと一緒に上がって行った。彼岸桜がようやく咲きかけた時分で、陽気はまだ寒く、前の狭い通りの石畳に、後歯の軋《きし》む音がして、もうお座敷へ出て行く芸者もあった。
菓子を撮《つま》んでお茶を呑《の》みながら、松島は商人らしく算盤《そろばん》を弾《はじ》いて金の出を計算していたが、ここは何といっても土地が狭いので、思ったより安くあがった。一時間ばかりで小菊は一旦帰り、散らばっている四五軒の料亭《りょうてい》を俥《くるま》でまわった。
その晩小菊は忙しかった。今行ったかと思うと、すぐ後口がかかり、箱丁《はこや》もてんてこまいしていたが、三時ごろにやっと切りあげ、帰ってお茶漬《ちゃづけ》を食べて話していると、すぐに五時が鳴り、やがて白々明けて来た。
常子は夜が早い方で、八時ごろに引き揚げて行った。
三日ばかり松島は家をあけ、四日日の午後ふらりと帰って来たが、電気のつく時分になるとまた出かけるのだったが、そうしているうちに、三月四月と時は流れて、小菊も土地のやり口が呑み込め、お客の馴染《なじみ》もできて、出先の顔も立てなければならないはめ[#「はめ」に傍点]にも陥り、わざとコップ酒など引っかけ、鬢《びん》の毛も紊《ほつ》れたままに、ふらふらして夜おそく帰って来ることもあった。
神経的な松島の目は鋭く働きはじめた。
「自前の芸者が、一時二時まで何をしているんだ。」
上がるとすぐ松島は呶鳴《どな》る。小菊は誰某《たれそれ》と一座で、客は呑み助で夜明かしで呑もうというのを、やっと脱けて来たと、少し怪しい呂律《ろれつ》で弁解するのだったが、それはそんなこともあり、そうでない時もあった。
松島は出て行く時の、帯の模様の寸法にまで気をつけるのだったが、帰る時それがずれているか否かはちょっと見分けもつきかねるのだった。
十
何とか言っているうちに、春を迎えたかと思う間もなく盆がやって来、月が替わるごとの移りかえが十二回重なればもう暮で、四五年の月日がたつうちに、この松廼家《まつのや》も目にみえて伸び出して来た。昨日まで凍《かじか》んだ恰好《かっこう》で着替えをもって歩いていた近所のチビが、いつの間にか一人前の姐《ねえ》さんになりすまし、あんなのがと思うようなしっちゃか面子《めんこ》が、灰汁《あく》がぬけると見違えるような意気な芸者になったりするかと思うと、十八にもなって、振袖《ふりそで》に鈴のついた木履《ぽっくり》をちゃらちゃらいわせ、陰でなあにと恍《とぼ》けて見せる薹《とう》の立った半玉もあるのだった。
とんとん拍子の松の家でも、その間に二十人もの芸者の出入りがあり、今度は少し優《ま》しなのが来たと思うと、お座敷が陰気で裏が返らなかったり、少し調子がいいと思っていると、客をふるので出先からお尻《しり》が来たり、みすみす子供が喰《く》いものになると思っても、親の質《たち》のわるいのは手のつけようがなく、いい加減前借を踏まれて泣き寝入りになることもあった。係争になる場合の立場も弱かった。
せっかく取りついてみたが松島もつくづくいやになることもあった。抱えの粒が少しそろったところで小菊に廃業させ、今は被害|妄想《もうそう》のようになってしまった自分の気持を落ち着かせ、彼女をもほっとさせたいと思うのだったが抱えでごたごたするよりか、やっぱり自分で働く方が、体は辛《つら》くとも気は楽だと小菊は思うのであった。
松島は小菊の帰りが遅くなると、後口があるようなふうにして電話をかけ、そっと探りを入れてみたりすることもあり、少し怪しいと感づくと、帳場に居たたまらず、出先の家《うち》のまわりをうそうそ歩くことも珍しくなかった。
「夜店のステッキがまたじゃんじゃんするといけないから、貴女《あなた》は早くお帰り。」
などと小菊は傍《はた》から言われ
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