その日の場所を都合してもらうことにした。
「ああ、晴《はア》ちゃんですか。今日はどこも一杯ですが、あんたのことだから、まあ何とかしましょう。」
 その年ももう十一月で、銀子もほとんど健康を恢復《かいふく》し、疲れない程度で、気儘《きまま》に座敷を勤めていた。錦糸堀でも、裏に小体《こてい》な家を一軒、その当座時々|躰《からだ》を休めに来る銀子の芸者姿が、近所に目立たないようにと都合してあるのだったが、今はそれも妹たちが占領していた。
「やあ晴ちゃん、病気してすばらしく女っぷりがあがったね。助かってまあよかった。」
 長く姿を見せなかった銀子を、初めて見た箱丁《はこや》は誰も彼もそう言って悦《よろこ》んでくれたものだったが、それほど躰が、きっそりして、お神が着物を造るたびに、着せ栄《ば》えがしないと言っていつもこぼしていた彼女の姿も、いくらか見直されて来た。
 劇場では、入って行くとすぐ、そこらを忙《せわ》しそうに徘徊《はいかい》していた瀬川が見つけ、
「いらっしゃい。さっきはお電話で恐縮でした。場所も私の無理が通りまして、一番見いいところを取っておきました。さあどうぞ。」
 と先に立ち、幕明き前のざわつく廊下を小股《こまた》にせかせか歩きながら、棧敷《さじき》の五つ目へ案内し、たらたらお世辞を言って、銀子の肩掛けをはずしたり、コオトを脱がせたり、行火《あんか》の加減を見たりした。
 瀬川は四十を一つ二つ出たばかりで、蒼《あお》みがかった色白の痩《や》せ形で、丈《たけ》も中ぐらいであったが、大きな目の感じが好い割に、頬骨《ほおぼね》や顎《あご》が張り加減で、銀子もお世辞を言われて、少し胸の悪いくらいであった。
 出しものは大菩薩峠《だいぼさつとうげ》に温泉場景などであったが、許嫁《いいなずけ》の難を救うために、試合の相手である音無し流の剣道の達人机龍之助に縋《すが》って行くお浜が、龍之助のために貞操を奪われ、許嫁の仇《あだ》である彼への敵意と愛着を抱《いだ》いて、相携えて江戸に走り、結局狂った男の殺人剣に斃《たお》れるという陰鬱《いんうつ》な廃頽《はいたい》気分に変態的な刺戟《しげき》があり、その時分の久松と沢正の恋愛が、舞台のうえに灼熱的《しゃくねつてき》な演技となって醗酵《はっこう》するのであったが、銀子も大阪から帰りたての、明治座の沢正を見ており、腐っていたその劇場で見た志賀《しが》の家《や》淡海くらいのものかと思っていたので、頼まれてお義理見をしたくらいだった。しかし沢正の人気は次第に高まり、今あらためて見て芸に油の乗って来たことが解《わか》り、一座を新しく見直したのであった。
 後に銀子も沢正の座敷に一座し、出が出だけに歌舞伎《かぶき》や新派ほど役者の気取りがなく、学生丸出しで、マークの柳に蛙《かえる》の絵を扇子に気軽に描《か》いてくれたり、同じマークの刻まれたコムパクトをくれたりするので、芸者の間にも受けがよく、一座するのを光栄に思うのであった。
「晴《はア》ちゃん、すみませんが、今夜は一つ私に附き合って下さい。姐《ねえ》さんにも通しておきましたから、どうかそのつもりでね。皆さんもお呼びしておきました。たまにはいいでしょう。」
 やがてはねるころになって、瀬川は土産物《みやげもの》などを棧敷へ持ちこみ、銀子が独りでいるところを見て、にやにやしながら私語《ささや》いた。

      十六

 芝居の帰りに、銀子は梅園横丁でお神に別れ、「いやな奴《やつ》」と思いながら、ほかの妓《こ》も行っているというので、教えられた通り、大川端《おおかわばた》に近い浜町の待合へ行ってみた。その時間には若林の来る心配もなかった。彼は病気あがりの銀子が、座敷へ現われるようになってから、またひとしきり頻繁《ひんぱん》に足を運ぶのだったが、ちょうどそのころ経済界に恐慌があり、破産する店もあり、彼も痛手を負い、遊んでも顔色が冴《さ》えず座敷がぱっとしなかった。銀子も傍《そば》で電話を聞きつけていたので、緊張したその表情がわかり、喰《く》いこんだ時の苦悩の色がつくづくいやだった。
「一生株屋なんか亭主《ていしゅ》にするものじゃない。」
 彼女は思った。
 ある時銀子は藤川のお神にちょっとお出《い》でと下へ呼ばれ、若林の傍を離れて居間へ行くと、お神は少しあらたまった態度で、
「若《わ》ーさんもお前《ま》はんが知っての通り、このごろひどい思惑はずれで蒼《あお》くなっていなさる。傍《はた》で見てもお気の毒でならん。お前はんもあの人の世話でどうやら一人前の芸者になったんだから、こういう時に何とか恩返しをしたらどうです。」
 と言われ、銀子は当惑した。
「お前はんに纏《まと》まった金を拵《こしら》えろと言ってみたところで、出来る気遣《きづか》いはありゃしない。芸者の痩《や》せ腕で男の難儀を救う、そんな無理なことは言わないが、お前はんにできることだったら、してあげたらどうだろう。なるほど晴子という女は、芸者にしては見所《みどころ》がある、心掛けのいい奴だと、あの人が感心するようだったら、そこは若ーさんも肚《はら》のすわった男だから、この先きお前はんのためにも悪いはずはないにきまっている。」
「どうすればいいんです。」
 銀子が訊《き》くと、何のことはない。それはお神の鼻元思案で、銀子が今までにしてもらったダイヤの指環《ゆびわ》に、古渡珊瑚《こわたりさんご》や翡翠《ひすい》の帯留、根掛け、櫛《くし》、笄《こうがい》、腕時計といった小物を一切くるめて返すようにと言うので、銀子はせっかく貰《もら》ったものを取りあげられるのが惜しく、不服だったが色に見せず、急いで家《うち》に帰り、片手ではちょっと持てないくらいの包みにして、持って来た。お神はそれを受け取り、さも自分の指図《さしず》に出たことだと言わぬばかりに、若林の前へ持ち出した。
 若林は「ふむ」と顔を背向《そむ》けていたが、女にくれてやったものまで取り返すほど行き詰まっているわけでもなく、一旦持って帰りはしたものの、四五日すると、お前の智慧《ちえ》ではあるまいと言って、そっと銀子に返してくれるのだった。
 浜町の待合では、福太郎に春次も来ており、お酌《しゃく》なども取り交ぜて五六人|揃《そろ》っていたが、やがて瀬川もやって来て、幕の内に摘《つま》み物などを通し、酒の強い福太郎や春次に強《し》いられて、銀子も三度に一度は猪口《ちょく》を乾《ほ》し、酔いがまわって来た。胃腸の弱い瀬川はたまに猪口を手にするだけで、盃洗《はいせん》のなかへ滾《こぼ》し滾しして、呑《の》んだふりをしていたが、お茶もたて花も活《い》け、庖丁《ほうちょう》もちょっと腕が利くところから、一廉《いっかど》の食通であり、[#地付きで](未完)



底本:「現代日本文学館8 徳田秋声」文藝春秋
   1969(昭和44)年7月1日第1刷
※混在する「パトロン」と「ペトロン」は、統一しなかった。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:久保あきら
校正:松永正敏
2000年12月11日公開
2000年12月14日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全31ページ中31ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング