った。しかし工場の在《あ》る処《ところ》へ、ほとんど埋立地に等しい少しばかりの土地を、数年かかってそこを地盤としている有名な代議士の尽力で許可してもらい、かさかさした間に合わせの普請《ふしん》で、とにかく三業地の草分が出来たのであった。まだ形態が整わず、組織も出来ずに、日露戦争で飛躍した経済界の発展や、都市の膨脹につれて、浮き揚がって来たものだが、自身で箱をもって出先をまわったような元老もまだ残存しているくらいで、下宿住いの均平がぶらぶら散歩の往《ゆ》き返りなどに、そこを通り抜けたこともあり、田舎《いなか》育ちの青年の心に、御待合というのが何のことか腑《ふ》におちないながらに、何か苦々しい感じであった。その以前はそこは馬場で、菖蒲《しょうぶ》など咲いていたほど水づいていた。この付近に銘酒屋や矢場のあったことは、均平もそのころ薄々思い出せたのだが、彼も読んだことのある一葉という小説家が晩年をそこに過ごし、銘酒屋を題材にして『濁り江』という抒情的《じょじょうてき》な傑作を書いたのも、それから十年も前の日清《にっしん》戦争の少し後のことであった。そんな銘酒屋のなかには、この創始時代の三業に加
前へ
次へ
全307ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング