。」
 厭味《いやみ》のつもりでもなく均平は言っていた。

      六

 この辺は厳《きび》しいこのごろの統制で、普通の商店街よりも暗く、箱下げの十時過ぎともなると、たまには聞こえる三味線《しゃみせん》や歌もばったりやんで、前に出ている薄暗い春日燈籠《かすがどうろう》や門燈もスウィッチを切られ、町は防空演習の晩さながらの暗さとなり、十一時になるとその間際《まぎわ》の一ト時のあわただしさに引き換え、アスファルトの上にぱったり人足も絶えて、たまに酔っぱらいの紳士があっちへよろよろこっちへよろよろ歩いて行くくらいのもので、艶《なまめ》かしい花柳|情緒《じょうしょ》などは薬にしたくもない。
 広い道路の前は、二千坪ばかりの空地《あきち》で、見番がそれを買い取るまでは、この花柳界が許可されるずっと前からの、かなり大規模の印刷工場があり、教科書が刷られていた。がったんがったんと単調で鈍重な機械の音が、朝から晩まで続き、夜の稼業《かぎょう》に疲れて少時間の眠りを取ろうとする女たちを困らせていたのはもちろん、起きているものの神経をも苛立《いらだ》たせ、頭脳《あたま》を痺《しび》らせてしまうのであ
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