「みんなどうして、あんなに色っぽくできるのかと思うわ。」
「恋愛したことはあるだろう。」
「そうね、商売に出たてにはそんなこともあったようだわ。あんな時分は訳もわからず、ぼーっとしているから、他哩《たわい》のないものなのよ。先だって若いから、恋愛ともいえないような淡いものなの。」
 銀子にもそんな思い出の一つや二つはあったが、彼女が出たての莟《つぼみ》のような清純さを冒された悔恨は、今になっても拭《ぬぐ》いきれぬ痕《あと》を残しているのであった。
 父が何にも知らず、行き当りばったりに飛び込んで行った浅草の桂庵《けいあん》につれられて、二度目の目見えで、やっと契約を結んだ家《うち》は、そうした人生の一歩を踏み出そうとする彼女にとって、あまり好ましいものではなかった。
 彼女は隣りの材木屋の娘などがしていたように、踊りの稽古《けいこ》に通っていたが、遊芸が好きとは行かず、男の子のような悪さ遊びに耽《ふけ》りがちであった。そこは今の江東橋、そのころの柳原《やなぎわら》で、日露戦争後の好景気で、田舎《いなか》から出て来て方々転々した果てに、一家はそこに落ち着き、小僧と職人四五人をつかって、靴
前へ 次へ
全307ページ中115ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング