十一

 その時代にもこんな古風な女もあった――。
 小菊は九月の半ば過ぎに、松島から、もう引き揚げるのに足を出すといけないから、金を少し送れという電話がかかったので、三四日遊んで一緒に帰るつもりで、自分で持って行ったのだったが、どうしたのか午後に上野を立った彼女は、明くる日の昼ごろにもう帰って来ていた。
「どうしたのさ。一緒に帰ればいいのに。」
 お婆さんが訊《き》くと、
「え、でもやっぱり家が心配で。」
 彼女は曖昧《あいまい》な返事をしながら、何か落ち着かない素振りをしていた。
 伊香保では客もめっきり減り、芒《すすき》の穂なども伸びて、朝夕は風の味もすでに秋の感触であったが、松島が品子と今一人、雑用に働いている遠縁の娘と三人づれで、土産《みやげ》をしこたま持って帰ってみると、小菊の姿は家に見えなかった。
「今日帰ることは知ってるはずだから、髪でも結いに行ったんだろう。」
 松島は独りで思っていた。
「子供の時分にいた房州の海が見たくなったから、二三日行って来ると言って、昨夜《ゆうべ》霊岸島から船で行きましたよ。お父さんたちの帰る時分に、帰って来ますといってね。」

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