ていたよりも建築も儼《げん》としており、明るい環境も荒い感じのうちに、厳粛の気を湛《たた》えており、気分のよさに、均平もしばらく立ち止まって四辺《あたり》を見廻していた。
均一は鈴蘭病棟《すずらんびょうとう》の一室にいたが、熱も大して無いと見えて、仰臥《ぎょうが》したまま文庫本を見ていた。木造だけに部屋の感じもよく、今一人の同じ年頃の患者とベッドを並べているので、寂しそうにもなかった。
「お父さま来て下さったの。」
加世子が傍《そば》へ寄って胸を圧《お》されるように言うと、均一は少し狼狽《ろうばい》したように、本を枕頭《まくらもと》におき、入口にいる均平を見た。
「どうだね、こちらへ来て。」
均平は目を潤《うる》ませたが、均一も目に涙をためていた。
「今のところ別に……。」
七
「何しろこの病院は素晴らしいね。ここにいれば大抵の患者は健康になるに決まっているよ。」
「ここまで持って来れる患者でしたら、大抵|肥《ふと》って帰るそうです。」
「とにかくじっと辛抱していることです。一年と思ったら二年もいる気でね。……戦争はどうだった?」
「戦争ですか。何しろ行くと間もなく後送ですから、あまり口幅ったいことは言えませんが、何か気残りがしてなりません。病気でもかまわず戦線へ立つ勇気があるかといえば、それはできないけれど……。死の問題なぞ考えるようになったのは、かえってここへ来てからです。」
均平は今いる世界の周囲にも、事変当初から、あの空地《あきち》で歓送されて行った青年の幾人かを知っていた。役員や待合の若い子息《むすこ》に、耳鼻|咽喉《いんこう》の医師、煙草屋《たばこや》の二男に酒屋の主人など、予備の中年者も多かった。地廻りの不良も召集され、運転士も幾人か出て行った。その中で骨になったり、不具者になって帰って来たのはせいぜい一人か二人で、大抵は無事で帰って来た。ある待合の子息は、出征直前に愛人の芸者が関西へ住替えしたのを、飛行機で追いかけ、綺麗《きれい》に借金を払って足を洗わせておいてから、出征したものだったが、杭州湾《こうしゅうわん》の敵前上陸後、クリークのなかで待機しているうち、窮屈な地下生活に我慢ができず、いきなり飛び出した途端に砲丸にやられ、五体は粉微塵《こなみじん》に飛び、やっと軍帽だけが送り還《かえ》された。またこの町内のある地主の子息は、工科出の地質学者であったが、召集されるとすぐ、深くも思い決した体で、心を後に残さないように、日頃愛用していたライカアやレコオドを残らず叩《たた》き壊《こわ》し、潔《いさぎよ》く征途に上ったものだったが、一ト月の後にはノモンハンで挺身《ていしん》奮闘して斃《たお》れてしまった。同じ奉公は奉公に違いなく、町の与太ものの意気もはなはだ愛すべきだが、科学人の白熱的な魂の燃焼も、十分|讃《ほ》め称《たた》えられるべきだと思われた。
均平は長くもこの病室にいなかった。ただ均一を見舞うだけの旅行であったが、逢《あ》ってみると別に話すべきこともなく、今の自分の姿にも負《ひ》け目《め》が感じられ、後は加世子に委《まか》せて、ベランダヘ出て風に吹かれていた。均平はこの年になっても持前のわがままがぬけず、別にこれと言って希望もなく、今後の生活の設計があるのでもなかったが、そうかと言ってそこに全く安住している気にもなれず、絶えず何か焦躁《しょうそう》を感じていた。
「もう帰るとしようか。また来るかも知れないが……。」
汐《しお》を見て均平は椅子《いす》を離れた。
「そうね。」
兄との話の途切れたところで、加世子も言った。
均平は均一の傍へ寄って、痩《や》せた手を握り、
「俺も何か物質的に援助もしたいと思うのだが、今のところその力はない。お前たちのためには、まことに頼りのない父だが、これもどうも仕様がない。辛抱も大事だが金も必要だからね。」
「いや、そんな心配はありません。」
「丈夫になったら、元通り勤めることになってるのだろうね。」
「まあそうです。しかし三年も四年も休んでいると、すベてがそれだけ後《おく》れてしもうわけです。この損失を取り還《かえ》すのは大変です。僕はもし丈夫になったら、今度は方嚮《ほうこう》をかえるつもりです。」
「方嚮をかえるって……。」
「向うで懇意になった映画界の人がいますから、あの世界へ入ってみようかとも思っています。」
「それもいいだろうが、三村の老人や他の皆さんともよく相談することだね。」
「お祖父《じい》さんは僕のことなんか、そう心配していません。」
「とにかく体が大事だ。偉くなる必要もないから、幸福にお暮らしなさい。」
「は。」
均一は素直に頷《うなず》いた。
均平は思い切って病室を出てしまった。何か足が重く、心が後へ残るのだったが、わざと
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