いは読み、お茶の道楽もあり、明治から大正へかけての成功者として、黄金万能の処世哲学には均平もしばしば中《あ》てられたものだが、それはそれとして俗物としては偉大な俗物だと感心しないわけにいかなかった。こんな時勢を彼はどんなふうに考えているであろうか。多分戦争でもすめば、日本の財界はすばらしい景気になり、自分のもっている不動産も桁《けた》はずれに値があがり、世界戦以上の黄金時代が来るものと楽観しているであろうか。
均平は加世子と枕《まくら》を並べて寝ながら、そんなことを考えていたが、加世子は少し離れて入口の方に寝ている女中と、お付きの女が氷をかいている患者のことや、療養所の看護婦や、均一と同室のいつもヴァイオリンをひいている患者の噂《うわさ》などで、しばらくぼそぼそと話をしていた。
均平はもしかしたら、銀子を一足先へ帰して、二三日この山荘に逗留《とうりゅう》し、山登りでもしてみたいような気もしたが、どうせ同棲《どうせい》というわけにもいかない運命だと思うと、愛着を深くしない方が、かえって双方の幸福だという気もして口へは出さなかった。
ラジオは戦争のニュースであった。
「まだやってるわ。寝られないわ。」
加世子が寝返りした。
「それに雨がふるんですもの。」
女中が答えた。
「明日晴れるかしら。ここはお天気のいい日はとてもいいんですわ。お父さんしばらくいらしてもいいんでしょう。」
「さあ、それでもいいんだが、誰か東京から来やしないか。それに己《おれ》もここは一日のつもりで来たんだから。」
加世子は黙って天井を見詰め、むっちりした白い手を出して、指先で頭をかいていたが、またごそごそ身動きをしたと思うと、今度は後ろ向きになって眠った。均平はふと妻の死の前後のことが憶《おも》い出され、小学校へ上がったばかりの加世子が、帰って来ると時々それとなし母を捜して歩き、来る女ごとに手を伸ばし、抱きつきたがる可憐《いじら》しい姿が浮かんで来て、思わず目が熱くなって来た。
六
翌朝は晴天であった。
均平はラジオ体操で目がさめ、階下《した》へおりて指先の凍るような井戸の水で顔を洗い、上半身をも拭《ふ》いて崖《がけ》はずれの処《ところ》に開けた畑の小逕《こみち》や建物のまわりを歩いていた。軽い朝風の膚《はだ》ざわりは爽快《そうかい》だったが、太陽の光熱は強く、高原の夏らしい感じだった。そうしているうちに加世子も女中と一緒に、タオルや石鹸《シャボン》をもって降りて来た。
二階へ上がると部屋もざっと掃除がすんでおり、均平は縁側のぼろ椅子《いす》に腰かけて、目睫《もくしょう》の間に迫る雨後の山の翠微《すいび》を眺めていた。寝しなに胸を圧していたあの感傷も迹《あと》なく消えた。
不思議なことに今朝《けさ》になってみると、田舎《いなか》の兄のやっている陶器会社が破産状態に陥った時、相談を持ちかけられ、郁子を説得したうえ、万に近い金をようやく融通して急場を救ったことがあり、後に紛紜《いざこざ》が起きて困ったことがあったが、結局解決がつかずじまいであったことが、今朝の清澄な心にふと思い出された。それで三村が均平を警戒しはじめ、郁子も間へ挾《はさ》まって困っていた事情や径路が、古い滓《おり》が水面へ浮かんで来たように思い出されて来た。しかし思い出してみても今更どうにもならないし、どうかする必要もなかった。
「俺《おれ》もよほど弱気になった。」
均平は嘆息した。ひところ金を浪費して、荒れまわった時のことを考えると、とにかく勇気があった。
内へ入って茶をいれているところへ、加世子が帰って来た。
「今この人と決めたんですけれど、今日は午前中病院へ行って、お昼から上諏訪へ遊びに行こうと思いますの。幾日もこんなところにいて鬱々《くさくさ》して来たから。それに少し買いたいものもありますの。」
加世子は鏡の前で顔にクリームを塗りながら、言っていた。
「上諏訪! ああそう。」
均平も頷《うなず》いた。
「お父さまもいらっしゃるでしょう。私たちお接待のつもりで……。」
加世子はふ、ふと笑っていた。
「それあありがとう。俺も光栄だよ。」
「光栄だなんて……。上諏訪へいらしたことがおありになって?」
「いや、こっち方面はどこも知らない。旅行はあまり好きじゃなかったし、隙《ひま》もなかった。しかし、上諏訪へ行くんだったら、ちょっと訪ねたい処《ところ》もある。」
均平は匂わした。
「どこですの。」
「ホテルだ。」
「ホテルに誰方《どなた》か……。」
加世子は小声で言ったが、気がついたらしく口をとじた。
「何なら紹介しよう。」
「ええ。」
食事がすんで療養所へ行ったのはもう九時であった。療養所はこの狭い高原地の、もっとも高燥な場所を占めていたが、考え
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