》に暮らしていた。
材木問屋はこの離れへ来ても、ビールでも呑《の》んで帰るくらいで、外で呼ぶことになっていたが、長いあいだ月々世話になっている弁護士の来る日は二階を綺麗《きれい》に掃除させ、桐《きり》の丸火鉢《まるひばち》に火を起こし、鉄瓶《てつびん》の湯を沸《たぎ》らせたりして、待遇するのだった。
八
浜龍は材木屋の座敷から帰って来ると、座敷着もぬがず、よくお札の勘定をしていたものだが、驚くことにはそれが銀子のまだ手にしたこともない幾枚かの百円札であったりした。彼女は弁護士からもらう月々のものを大体家へ入れ、材木屋から搾《しぼ》る臨時《ふり》のものを、呉服屋や貴金属屋や三味線屋などの払いに当て、貯金もしているらしかったが、どこか感触に冷たいところがあり、銀子がお札を勘定しているところを覗《のぞ》いたりすると、いやな顔をして、
「いやな人ね、人のお金なんぞ覗くもんじゃないわよ。そっちへ行ってらっしゃい。」
などと邪慳《じゃけん》な口の利き方をした。
この姐《ねえ》さんは年ももう二十一だし、美しくもあり芸もあるが、腕も凄《すご》いのだと銀子は思うのだったが、どうすれば腕が凄くなるのか、想像もつかなかった。
抱えの大半が東京産まれだったが、そのころは世界戦後の好況がまだ後を引き、四時が鳴ると芸者は全部出払い、入れば入ったきり一つ座敷で後口もなく、十二時にもなると揃《そろ》って引き揚げ、月に一度もあるかなしの泊りは、町はずれの遊廓《ゆうかく》へしけ込む時に限るのだった。
翌日の午後マダムは寝台車で病院へ運ばれ、お気に入りの銀子もついて行ったのだったが、病室に落ち着いてからも、忙《せわ》しい呼吸をするたびに、大きい鼻の穴が一層大きく拡《ひろ》がり、苦しそうであった。その日も銀子は、一昨日《おととい》の晩のことが夢のように頭脳《あたま》に残り、親爺《おやじ》と顔を合わすのがいやでならなかったが、彼は何とか言っては側へ呼びつけたがり、銀子が反抗すると刃物を持ち出して、飼犬に投げつけたり、抱えたちの床を敷くと、下座敷は一杯で、銀子は一人の仕込みと二階に寝かされることになっていたが、ひどく酔って帰って来る晩もあって、ふと夜更《よふ》けに目がさめてみて、また失敗《しま》ったと後悔もし、憤りの涙も滾《こぼ》れるのだった。
しばらくすると、銀子のむっちりした愛らしい指に、サハイヤやオパルの指環《ゆびわ》が、にわかに光り出し、錦紗《きんしゃ》の着物も幾枚か殖《ふ》えた。座敷がかかっても、気の向かない時は勝手に断わり、親爺に酌をさせられるのがいやさに、映画館でたっぷり時間を潰《つぶ》したりしたが、ある時は子供を折檻《せっかん》するように蒲団《ふとん》にくるくる捲《ま》かれて、酒を呑んでいる傍《そば》に転《ころ》がされたりした。
そのころになると、銀子と栗栖の距離も、だんだん近くなり、マダムを見舞った帰りなどに、一緒に映画を見に入ることもあり、お茶を呑むこともあった。映画は無声で、イタリイの伝記物などが多く、ドイツ物もあった。栗栖はドイツ物のタイトルを読むのが敏《はや》く、詳しい説明をして聞かせるのだったが、映画に限らず、この若いドクトルの知識と趣味は驚くほど広く、油絵も描けば小説も作るのであった。
病院でも文学青年が幾人かおり、寄ると触《さわ》ると外国の作品や現代日本の作家の批評をしたり、めいめい作品を持ち寄ったりもして、熱をあげていた。
「お銀ちゃん栗栖君を何と思ってるんだい。あれはなかなか偉いんだよ。小説を書かせたって、このごろの駈出《かけだ》しの作家|跣足《はだし》だぜ。」
同僚のあるものは蔭《かげ》で言っていたが、それも盲目の銀子に栗栖の価値を知らせるためだったが、銀子は一般の芸者並みに客として見る場合、男性はやはり一つの異性的存在で、細かい差別は分からなかったが、四街道《よつかいどう》、習志野《ならしの》、下志津《しもしづ》などから来る若い将校や、たまには商用で東京から来る商人、または官庁の役人などと違って、こうした科学者には、何か芸者に対する感じにも繊細なところがある代りに、気むずかしさもあるように思えた。それに栗栖の態度には、どうかすると銀子を教育するような心持があり、何だと思うこともあった。
暮はひどくあわただしかった。マダムが病院から死骸《なきがら》で帰り、葬式《とむらい》を出すのとほとんど同時に、前からそんな気配のあった浜龍が、ちょうど大森へ移転する芸者屋の看板を買って、披露目《ひろめ》をすることになり、家《うち》がげっそり寂しくなってしまった。
銀子も暮から春へかけて、感冒にかかり扁桃腺《へんとうせん》を脹《は》らして寝たり起きたりしていたが、親爺《おやじ》の親切な介抱にも彼女の憎悪は募り、
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