。しかしなまじっか学問なんか噛《かじ》りちらすより、土弄《つちいじ》りでもしていた方がよかったかも知れんよ。詩を作るより田を作れって、昔しから言うが、こんな時代になって来ると、鉄や油も必要だが、食糧の方がもっと大切だからね。」
加世子は女中と顔を見合わせ、くすくす笑っていたが、銀子も話は好きで、「大地」の中に出て来る農民の土への執着や、※[#「※」は「虫+奚」、第3水準1−91−59、348−上24]※[#「※」は「虫+斥」、第3水準1−91−53、348−上24]《ばった》の災害の場面について無邪気に話したりした。
それからこの辺の飯の話になり、日本米を食べるために、わざわざ地方へ旅する人も少なくなく、飯食いの銀子も、それが一つの目当てで、同伴したというのだった。
和《なご》やかな食事がすんでから、銀子は三人を三階の洋室へ案内したが、そこからは湖水が一目に見え、部屋も加世子の気に入った。
「いいお部屋ね。」
「よかったら加世子さん、今夜ここにお泊まりになっては。」
十
均平がヴェランダで籐椅子《とういす》にかけ、新聞を見ていると、女たちは部屋のなかで円卓子《まるテイブル》を囲み、取り寄せた林檎《りんご》を剥《む》いて食べながら、このごろの頭髪《あたま》の流行などについてひそひそ話していた。
「私も今生きていると、いい年増《としま》の姉が二人もいたのよ。だけど、それは二人とも結核でしたわ。大きい方の姉は腕の動脈のところがぽつりと腫《は》れて、大学で見てもらっても、初めははっきりしたことが解《わか》らなかった。そのうちにだんだんひどくなってとても痛んで、夜だっておちおち眠れないもんですから、一晩腕をかかえて泣いていましたわ。朝と晩に膿《うみ》を吸い取るために当ててある山繭《やままゆ》とガアゼを、自分でピンセットで剥《は》がしちゃ取り替えていましたけれど、見ちゃいられませんでしたわ。」
「動脈の結核なんてあるの。恐《こわ》いわね。」
「もう一人は肺でしたけれど……、でもそういう時は、女の子ばかり五人もいて、家《うち》も貧乏でしたからできるだけのことはするつもりでも、仕方がないから当人も親たちもいい加減|諦《あきら》めてしまうのね。」
銀子は姉たちの病気の重《おも》なる原因が栄養不良から来たものだということをよく知っていた。そのころ彼女たちは一家
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