す。逢いたがっていらっしゃいますから。」
看護婦はそう言って、そっと銀子を抱き起こし、一人は両脇《りょうわき》から上半身を抱え、一人は脚を支えてそろそろ段梯子《だんばしご》を降《くだ》り、病床近くへつれて来たが、時子は苦しい呼吸の下から、姉の助かったことを悦《よろこ》び、今まで世話になった礼を言い、後のことをくれぐれ頼んで、銀子を泣かせるのだった。
じきに最後の呼吸ががくりと咽喉《のど》に鳴り、咽《むせ》ぶように絶えてしまい、医師の駈《か》けつけた時分には、死者の枕《まくら》を北に直し、銀子も自分の寝床にかえっていた。
二階の病人を動かしたことで、看護婦はさんざん叱《しか》られたが、銀子の病気もそれからまた少し後退した。
十四
狭い二階の東向きの部屋で、銀子は五箇月もの間寝たきりだったが、六月になってから、少しずつ起きあがる練習をしてみたらばと医師も言うので、床のうえに起き直ろうとしたが、初めは硬直したような腕の自由は利かず、徒《いたず》らに頭ばかり重いので、前に※[#「※」は「足+「倍」のつくり」、第3水準1−92−37、452−上15]《のめ》って肩を突き、いかに大病であったかを、今更感ずるのだったが、やがて室《へや》へ盥《たらい》をもち込み、手首や足をそっと洗うほどになり、がくつく足で段梯子《だんばしご》を降り、新しい位牌《いはい》にお線香をあげたりした。
ある時仏にも供え看護婦をもおごり、みんなで天丼《てんどん》を食べたことがあったが、それは仏が生前に食べたいと言うので、取ってみたが蓋《ふた》を取って匂いをかいだばかりで食道はぴったり塞《ふさ》がり一箸《ひとはし》も口へもって行くことができなかったのを思い出したからで、寝ついてからはずっと食慾がなかった。有田ドラッグの薬の空罐《あきかん》が幾つも残っており、薬がなくなると薬代をもらいに銀子の処《ところ》へ往《い》ったこともあった。
銀子が芳町へ出たての時分、母は彼女をつれて町の医者に診《み》てもらったことがあったが、医者は母親を別室に呼び、不機嫌《ふきげん》そうに、あんなになるまでうっちゃっておいて、今時分連れて来て何になると思うのかと叱るので、母はその瞬間から見切りをつけていた。
「なるべく滋養を取らせて、遊ばせておくよりほかないね。」
銀子も言っていたのだったが、ある時|越後
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