親に奉仕するのであった。
春よしのお神と若林の心やりで、家へ帰ってからも銀子の病床には二人の看護婦が夜昼附き添い、梅村医師も毎日欠かさずやって来たが、上と下との病人に負け勝ちのあるのも仕方がなく、三月に入って陽気が暖かくなるにつれて、銀子に生きる力が少しずつ盛りあがって来るのとは反対に、すでに手遅れの妹は衰弱が劇《はげ》しく、先を見越した梅村医師の言葉で、親たちも諦《あきら》めていた。
時子の病気も、銀子が写真屋にもらって送った高野山《こうやさん》の霊草で、少し快《よ》くなったような気もしたが、医者に言わせると栄養の不足から来ているのだが、母系の遺伝だとも思われた。銀子がたまに見番の札を卸し、用事をつけて錦糸堀へやって来ると、彼女は一丁目ばかり手前の焼鳥屋の暖簾《のれん》のうちに立っており、銀子がよく似た姿だと思って、近づいて声をかけると、時子はその声が懐かしく、急いで暖簾から出て来るのだった。
「時ちゃん、焼鳥の屋台なんか入るの。」
「焼鳥は栄養があるでしょう。だから私大好き。」
躯《からだ》ののんびりした彼女は銀子よりも姿がよく、人目につくので、嫁に望む家も二三あるのだったが、そうした時に病気が出たのであった。
彼女は自分よりも銀子に脈のあることを悦《よろこ》び、ある時は、目のとどく処《ところ》に花を生けておいたり、人形を飾ってくれたりしていたが、どうせ保《も》たないのは既定の事実なので、したいようにさせておいた。やがて彼女の死期が迫り、梅村医師がはっきり予言した通り、月の十三日に短いその生涯に終りが来た。
「私はこれから大磯《おおいそ》まで行って来ますが、帰りは十時ごろになるでしょう。さあ臨終に間に合うかどうかな。」
医師はそう言って帰ったのだったが、その予言にたがわず、時子の死は切迫して来た。学校の成績がいつも優等であった彼女は、最後の呼吸《いき》が絶えるまで頭脳《あたま》が明晰《めいせき》で、刻々迫る死期を自覚していた。
「今日が一番苦しい。きっと死ぬんだわ。」
その日彼女は昼間からそれを口にしていたが、夜になると一層苦痛が加わり、八時九時と店の時計が鳴るにつれて、医者の来るのが待たれた。
「先生が東京駅へついた時分よ。」
彼女は苛立《いらだ》って来たが、もう駄目だとわかりにわかに銀子に逢《あ》いたくなり、父に哀願した。
「お妹さんが御臨終で
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