二人の看護婦を督励し、ひっきりなしの注射に酸素吸入、それにある部分は冷やし、ある部分は温めもしたり、寝食を忘れて九死に一生を得ようと努めるのだった。
春よしでは、婆《ばあ》やだけ残して抱え全部を懇意な待合の一室に外泊させ、お神も寝ずの番で看護を手伝うのだったが、苛酷《かこく》な一面には、派手で大業《おおぎょう》な見栄《みえ》っぱりもあり、箱丁《はこや》を八方へ走らせ、易を立てるやら御祈祷《ごきとう》を上げて伺いを立てるやらした。一人が柴又《しばまた》へ走ると一人は深川の不動へ詣《まい》り、広小路の摩利支天《まりしてん》や、浅草の観音へも祈願をかけ、占いも手当り次第五六軒当たってみたが、どこも助かると言うもののない中に、病人の肌襦袢《はだじゅばん》に祈祷を献《ささ》げてもらった柴又だけが、脈があることを明言したのだった。しかしその一縷《いちる》の望みも絶え、今はその死を安からしめるために人々は集まり、慰めの言葉で臨終を見送ろうとするのだった。
濛靄《もや》のかかったような銀子の目には、誰の顔もはっきりとは見えず、全身|薔薇《ばら》の花だらけの梅村医師の顔だけが大写しに写し出されていた。
「どうだえ楽になったかい。」
医師は脈を取りながら言った。
「なに、これ。」
銀子は洋服の釦《ボタン》が花に見え、微《かす》かに言ったが、医師には通ぜず、
「晴子は可愛《かわい》い子だよね。」
と額を撫《な》でた。
若林とお神は、次ぎの六畳で何か私語《ささや》いていたが、お神はやがて箪笥《たんす》のけんどんの錠をあけ、銀子の公正証書を取り出して来て、目の先きで引き裂いて見せた。
「お前これで何も心配することはない。芸者では死なない死なないと言っていたでしょう。この通り証文を引き裂いたから、お前はもう芸者じゃないよ。安心しておいで。」
お神はそう言って涙を拭《ふ》いたが、昏睡《こんすい》中熱に浮かされた銀子は、しばしば呪《のろ》いの譫言《うわごと》を口走り、春次や福太郎が傍《そば》ではらはらするような、日常|肚《はら》に畳んでおいたお神への不満や憤りを曝《さら》け出したりしたので、九分九厘まで駄目となったこの際に、心残りのないように、恩怨《おんえん》に清算をつけるのだった。
銀子の譫言も、こんな家《うち》にいたくないから、早く田舎《いなか》へやってくれとか、ここで死ぬのは
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