だろう。」
 株屋とはいっても、彼はまだ年が若く、世間知らずであった。
「お金ないのよ。」
「この間やった金、もう無いのか。」
「買いものして、みんな使っちゃいましたわ。」
「何を買ったんだ。」
「……………。」
「お前は金使いが荒いね。」
 若林は不機嫌《ふきげん》そうに言ったが、お神はあの翌朝晴子が親の家《うち》へ行ったことを、春よしのお神から聞いていたので、じきに察しがつき、若林の顔に暗示的な目を注いだ。若林も晴子が孝行芸者だという触れ込みで、最初呼んでみる気になったので、お神の意味がわかり、なるほどそうかと言った顔で頷《うなず》いていた。
「だからね。やっぱりそうなんですよ。」
 若林も一般俗衆のように、親孝行には頭の上がらない好人物の一人で、世間の親というものについても皆目無知であり、善悪の観念もはっきりしなかった。それに比べると、銀子には親を見る目もようやく開けかけており、感傷のゆえに親に尽くすのとは違って、かかる醜悪な職業に従事する女の恥辱の、心のやり場をそこに求めているのであった。
「お前、毎月家へやるのかい。」
 若林が訊《き》くので銀子も、
「ううん、そうでもないの。このごろ妹が病気しているもんですから。」
 とお茶を濁した。

      五

 夏の移り替えになると、春よしのお神は、丸抱えの座敷着に帯、長襦袢《ながじゅばん》といった冬物を、篏《は》め込みになっている三|棹《さお》ばかりの箪笥《たんす》のけんどん[#「けんどん」に傍点]から取りだし、電話で質屋の番頭を呼び寄せ、「みんな下へおりておいで」といって子供たちを遠ざけ、番頭はぱちぱち算盤《そろばん》を弾《はじ》いて、何か取引を開始し、押問答の末、冬物全部が手押車に積まれ、二人の小僧によって搬《はこ》ばれ、夏物と入れ替わりになるのだった。お神は置き場がないので、倉敷料を払って質屋の倉へ預けるのだとか、番頭に頼んで手入れをしてもらうのだとか言っていたが、実は手元の苦しい時の融通であることもだんだん銀子に解《わか》って来た。その時代には、一般世間の経済観念もきわめてルーズであり、貧しいものには貧しいなりの生活の余裕と悦楽があり、行き詰まってもどこかに抜け道があって、宵越《よいご》しの金は腐ってでもいるように言われ、貧乏人の痩《や》せ我慢が市井の美徳としてまだ残っていた。使用人の芸者にも金の観
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