きれ》か三片で、昼も、たまに小猫《こねこ》の食べるほどの鮭《さけ》の切身の半分もつけば奢《おご》った方で、朝の味噌汁の冷え残りか、生揚げの一ひらで済ますという切り詰め方であった。飯も赤ん坊の茶碗《ちゃわん》ほどなのに、手甲盛《てこも》りやおかわりの二杯以上は許されず、それから喰《は》み出せば、お神の横目が冷たく睨《にら》み、
「芸者は腹一杯食べるものじゃありませんよ。」
と、それがこの道の行儀作法ででもあるように、戒めるのだった。貧しいながらに、田舎《いなか》育ちの父母によって、腹一杯食べるように慣らされて来た銀子にとって、三度の口を詰められるほど辛《つら》いことはなく、芸者も労働である以上、座敷では意地汚く食べ物に手を出すのが禁物である限り、餒《ひも》じいのが当然であり、彼女は日に二度も梅園の暖簾《のれん》をくぐり、蜜豆《みつまめ》やぜんざい、いそべ焼などをたらふく食べ、わずかに飢えを充《み》たすのであった。
先輩芸者の春次を初め、少し蟇口《がまぐち》のふくれている芸者は、お膳のうえが寂しいと見ると、子供を近くの煮物屋へ走らせ、酒で爛《ただ》れた胃袋にふさわしい、塩昆布《しおこぶ》や赤生薑《あかしょうが》のようなものを買わせ、朋輩《ほうばい》芸者の前に出すのだが、きゃら蕗《ぶき》や葉蕃椒《はとんがらし》のようなものも、けんどん[#「けんどん」に傍点]の隅《すみ》に仕舞っておき、お茶漬のお菜《かず》にするのだった。
昨夜お客がくれたからと、銀子は帯の間から出して金を火鉢《ひばち》の傍《そば》におくのだったが、起きそろった妹たちと一緒に、懐かしい家の飯を食べると、急いで芳町へ還《かえ》って来るのだったが、その時に限らず、彼女は朝座敷からの帰りがけに、着物を着替えているところから、その足で割引電車に乗り、温かい朝飯を食べに、わざわざ錦糸堀まで来ることも珍らしくなかった。
金を家へおいて来てから二日ほどすると、藤川から電話がかかり、行ってみると、若林はお神や女中と、鴈治郎《がんじろう》一座の新富座《しんとみざ》の噂《うわさ》をしており、人気が立っているので、三人で観《み》に行くことになった。
「お前、明後日《あさって》の切符を三枚取っておいておくれ。」
若林は銀子の晴子に命じたが、銀子にはその金がなかったので、引き受けることもできず、もじもじしていた。
「金ある
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