の女将《おかみ》は、年のころ五十ばかりで、名古屋の料亭《りょうてい》の娘といわれ、お茶の嗜《たしな》みもあるだけに、挙動は嫻《しと》やかで、思いやりも深そうな人柄な女であった。彼女の指には大粒の黒ダイヤが凄《すご》く光っていて、若い妓《こ》が値段を聞きたがると、
「これかい。安いのさ。五千円で買ったんだよ。」
と彼女は事もなげに言うのだった。
この若い株屋を銀子につける時、
「お前《ま》はんも何かないと、お困りだろうからね、若《わー》さんなら、堅くてさっぱりしていて、世話の焼けない方だから、よかろうと思ってね。」
とお神は言うのだったが、若造の若林もお前はんお前はんで子供扱いであり、いつもあまり興味のなさそうな顔で、酒も酔うほどに呑《の》まず、話がはずむということもなく、店を仕舞ったころに、ふらりとやって来たかと思うと、株の話などをして、お神に言われておひけになったかならぬに、もう風呂《ふろ》へ飛びこみ、部屋へ帰って出花でも呑むと、すぐ帰るのであった。もちろん家には最近迎えたばかりの新妻《にいづま》はあり、夫婦生活の味もまだ身に染《し》む間もないころのことだったが、銀子にも嫉妬《しっと》に似た感情の芽出しはありながら、それを引きとめる手もなく、双方物足りぬ感じで別れるのだった。
「お前はんもあまり情がなさすぎるやないか。それじゃこの子も愛情が出にくかろうから、少しゆっくりしていたらどうだろうね。」
お神は気を揉《も》み、取持ち顔に言うのであった。
四
藤川の女将の斡旋《あっせん》で若林の話がきまった晩、彼は別れぎわに小遣を三十円ばかり銀子に渡し、あまり無駄使いしないようにと言って帰ったのだったが、その晩は銀子も家《うち》の侘《わび》しいお膳《ぜん》で、お茶漬《ちゃづけ》で夜食をすまし、翌朝割引電車で、錦糸堀《きんしぼり》の家へ帰ると、昨夜もらった手付かずの三十円をそっくり母親に渡した。
父も母も宵寝《よいね》の早起きだったのて、台所ではもう焚《た》きたての飯の匂いがしており、七輪にかかった鍋《なべ》の蓋《ふた》の隙間《すきま》から、懐かしい味噌汁《みそしる》の甘い煙も噴《ふ》き出していた。
どこでもそうだが、今の主人も、表の派手な人に引き換え、内に詰めるだけ詰める方で、夜座敷から帰って来ても、夜食に大抵|古沢庵《ふるたくあん》の二|片《
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