ま》を一人つれて、新潮楼で銀子を揚《あ》げ見したのは、銀子が桂庵へ手紙を出してから、四日目の昼過ぎであった。田舎《いなか》廻りをしていた銀子が、どんな芸者になったか、仕込み時代の彼女を知っているだけでは見当がつかず、自身わざわざ見に来たものであった。
 お神が麦酒《ビール》など取り、松島遊覧かたがた来たのだと言って、前借がどのくらい残っているか、いくらお金が入用か、この土地の習慣はどんなふうかなどと訊《き》き、三味線《しゃみせん》もちょっと弾《ひ》かせてみた。
「東京では躯《からだ》がそう楽というわけに行きませんが、それさえ辛抱してもらえれば……。」

      十七

 自発的な銀子の場合に限らず、揚げ見はどこの土地にもあり、少し売れる子供だとなると、桂庵《けいあん》が身銭を切り、お茶屋へ呼んで甘い言葉で誘いかけ、玉の引っこぬきに苦肉の策を用いる手もあるのだったが、分寿々廼家では東京から揚げ見に来たとはもとより知らず、二日ばかりしてから、住替えの場合の習慣どおり、銀子の父と浅草の桂庵とが、出しぬけに乗り込み、銀子の手紙で迎えに来たのだと言われ、初めて住替えとわかり、お神は少し狼狽《うろたえ》気味であった。
「どういう事情か知りませんが、この土地もちっと居辛《いづら》くなったそうで、本人が急に東京へ帰りたいと言ってよこしましたから、お父さん同道で、昨夜の九時の夜行で立って来ましたよ。」
「あら、そうですか。」
 そしてお神は近所へ遊びに行っている銀子を呼びにやり、銀子が上がって来たところで、「ちょっと」と奥へつれて行き、
「あんた住替えですて?」
「何だかいやになったのよ。」
「無理もないと思うけれど。こっちは寝耳に水でね。もしお父さんにお金の入用なことがあるなら、何とか相談してもいいんですよ。それともこれじゃ働きにくいから、こういうふうにして欲しいとか何とかいうのでしたら、聴《き》いてあげてもいいんですがね。せっかく馴染《なじ》んだのに、あんた少し気が早すぎやしない?」
「すみません。別に理由はないんです。でもお父さんも来たもんですから。」
「じゃやっぱりあのことね。何もそんなに気にすることもないと思うがね。」
 桂庵は今度の上りに間に合うようにとしきりに時計を気にしていたが、お神も思い切り、簿記台を開けて、しばらく帳面を調べていた。
 やがて金と引換えに、証書
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