入したものもあり、空地のほとりにあった荷馬車屋の娘が俄作《にわかづく》りの芸者になったりした。
この空地にあった工場が、印刷術と機械の進歩につれて、新たに外国から買い入れた機械を据《す》えつけるのに、この町中では、すでに工場法が許さなくなったので、新たに新市街に模範的な設備を用意して移転を開始し、土地を開放したところで、永い間の悩みも解消され、半分は分譲し、半分は遊園地の設計をすることにして、あまり安くない値で買い取ったのであった。日々に地が均《なら》され、瓦礫《がれき》が掘り出され、隅《すみ》の方に国旗の棹《さお》が建てられ、樹木の蔭《かげ》も深くなって来た。ここで幾度か出征兵士の壮行会が催され、英魂が迎えられ、焼夷弾《しょういだん》の処置が練習され、防火の訓練が行なわれた。
夜そこに入って、樹立《こだち》の間から前面の屋並みを見ると、電燈の明るい二階座敷や、障子の陰に見える客や芸者の影、箱をかついで通る箱丁《はこや》、小刻みに歩いて行く女たちの姿などが、芝居の舞台や書割のようでもあれば、花道のようでもあった。
狭苦しい銀子の家《うち》も、二階の見晴らしがよくなり、雨のふる春の日などは緑の髪に似た柳が煙《けぶ》り、残りの浅黄桜が、行く春の哀愁を唆《そそ》るのであった。この家も土地建ち初まりからのもので、坪数にしたら十三四坪のもので、古くなるにつれていろいろの荷物が殖《ふ》え、押入れも天井の棚《たな》も、ぎっしり詰まっていた。均平の机も箪笥《たんす》とけんどん[#「けんどん」に傍点]の間へ押しこまれ、本箱も縁側で着物の入っている幾つかの茶箱や、行李《こうり》のなかに押しこまれ、鼓や太鼓がその上に置かれたりした。もちろん彼は大分前から机の必要がなくなっていた。古い友人に頼まれて、一ト夏漢文の校正をした時以来、ペンを手にすることもまれであった。
銀子は家の前へ来ると、ちょっと立ち停《ど》まってしばらく内の様子を窺《うかが》っていた。留守に子供たちが騒ぎ、喧嘩《けんか》もするので、わざとそうしてみるのであった。
七
ちょうど最近|披露目《ひろめ》をした小躯《こがら》の子が一人、それよりも真実《ほんとう》の年は二つも上だが、戸籍がずっと後《おく》れているので、台所を働いている大躯《おおがら》の子に、お座敷の仕度《したく》をしてもらっているところだっ
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