たが、それが切火に送られて出て行く段になって、子供たちはやっとお母さんが帰って来たことに気がついた。養女格の晴弥《はるや》と、出てからもう五年にもなる君丸というのが二人出ているだけで、後はみんな残っており、狭い六畳に白い首を揃《そろ》えていた。さっそく銀子たちの下駄《げた》を仕舞ったり、今送り出した子の不断着を畳んだりするのは、今年十三になった仕込みで、子柄が好い方なので銀子も末を楽しみにしていた。
銀子はこの商売に取り着きたての四五年というもの、いつもけい[#「けい」に傍点]庵《あん》に箝《は》め玉《ぎょく》ばかりされていた。少し柄がいいので、手元の苦しいところを思い切って契約してみると、二月三月も稼《かせ》いでいるうちに、風邪《かぜ》が因《もと》で怪しい咳《せき》をするようになり、寝汗をかいたりした。逞《たくま》しい体格で、肉も豊かであり、皮層は白い乳色をしていた。髪の毛が赭《あか》く瞳《ひとみ》は白皙人《はくせきじん》のように鳶色《とびいろ》で、鼻も口元も彫刻のようにくっきりした深い線に刻まれていたが、大分浸潤があるので、医者の勧めで親元へ還《かえ》したこともあり、銀子自身があまり商売に馴《な》れてもいないので、子供の見張りや、芸事を仕込んでもらうつもりで、烏森《からすもり》を初め二三カ所渡りあるいたという、二つ年上の女を、田村町から出稽古《でげいこ》に来る、常磐津《ときわず》の師匠の口利きで抱えてみると、見てくれのよさとは反対に、頭がひどい左巻きであったりした。一年間も方々の病院をつれ歩いてみても、睫毛《まつげ》や眉毛《まゆげ》を蝕《むしば》んで行く皮膚病に悩まされたこともあり、子柄がわるい代りに病気がないのが取柄だと思うと、親がバタヤで質《たち》が悪く、絶えず金の無心で坐りこまれたりした。銀子もいろいろの世間を見て来て、時には暴力団や与太ものの座敷へも呼ばれ、娘や女を喰《く》いものにしている吸血児をも知っていたが、女ではやっぱり甘く見られがちで、つい二階にいる均平に降りてもらうことになるのだったが、均平も先の出方では、ややもするとしてやられがちであった。
「いやな商売だな。」
均平がいうと銀子も、
「そうね、止《よ》しましょうか。」
「いやいや、君はやっぱりこの商売に取りついて行くんだ。泥沼《どろぬま》のなかに育って来た人間は、泥沼のなかで生きて行くよ
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