いたが、弁護士にも少し鼻を高くしているのだった。
 猪野は洋食に酒を取り、三人でちびちびやりながら、訴訟の話をしていたが、銀子には何のことか解《わか》らず、退屈して来たので、食べるものを食べてしまうと、
「私あっち行っててもいいでしょう。」
 とお神にそっとささやき、食堂を出て独りになった。何を考えるということもなかったが、独りでいたかった。
 福島あたりへ来ると、寒さがみりみり総身に迫り、窓硝子《まどガラス》に白く水蒸気が凍っていた。野山は一面に白く、村も町も深い静寂の底に眠り、訛《なまり》をおびた駅夫の呼び声も、遠く来たことを感じさせ、銀子はそぞろに心細くなり、自身をいじらしく思った。下駄《げた》をぬいで、クションの上に坐り、肱掛《ひじか》けに突っ伏しているうちに、疲れが出てうとうとと眠った。
 三人が座席へ帰って来たのは、もう二時ごろで、銀子もうつらうつら気がついたが、ちょっと身じろぎをしただけでまた眠った。
 仙台へついたのは、朝の六時ごろで、銀子も雪景色が珍しいので、夜のしらしら明けから目がさめ、洗面場へ出て口を掃除したり、顔を洗ったりした。少しは頭脳《あたま》がはっきりし、悲しみも剥《と》れて行ったが、請地《うけじ》ではもう早起きの父が起きている時分だなぞと考えてみたりした。
 見たこともない氷柱《つらら》の簾《すだれ》が檐《のき》に下がっており、銀の大蛇《おろち》のように朝の光線に輝いているのが、想像もしなかった偉観であった。
「大変だね。冬中こんなですの。」
「ああ、そうだよ。四月の声を聞かないと、解けやしないよ。私もここの寒の強いのには驚いたがね。慣れてしまえば平気さ。東京へ行ってみて雪のないのが、物足りないくらいのものさ。」
 仙台で弁護士は下車し、猪野は座席へ帰って来たが、I―町まではまだ間があり、K―駅で乗り替えるのだった。
 I―町では、みんなが大勢迎えに来ていた。

      三

 その後間もなく市政の布《し》かれたこの町は、太平洋に突き出た牡鹿《おじか》半島の咽喉《いんこう》を扼《やく》し、仙台湾に注ぐ北上河《きたかみがわ》の河口に臨んだ物資の集散地で、鉄道輸送の開ける前は、海と河との水運により、三十五|反《たん》帆が頻繁《ひんぱん》に出入りしたものだったが、今は河口も浅くなり、廻船問屋《かいせんどんや》の影も薄くなったとは言え、鰹
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