そこはI―町といって、仙台からまた大分先になっていた。
「どのくらいかかる?」
 銀子も少し心配になり、躊躇《ちゅうちょ》したが、歩けないだけに、西の方よりも、人気が素朴《そぼく》なだけでも、やりいいような気がした。
「今日の夜立って、着くのは何でも明日のお昼だね。それにしたところで、台湾や朝鮮から見りゃ、何でもないさ、遊ぶつもりで一年ばかり往《い》ってみちゃどうかね。いやならいつでもそう言って寄越《よこ》しなさい。おじさんがまたいいところを見つけて、迎いに行ってあげるから。」
「じゃ行ってみます。」
 銀子は決心した。
 町は歳暮の売出しで賑《にぎ》わい、笹竹《ささたけ》が空風《からかぜ》にざわめいていたが、銀子はいつか栗栖に買ってもらった肩掛けにじみ[#「じみ」に傍点]な縞縮緬《しまちりめん》の道行風の半ゴオトという扮装《いでたち》で、覗《のぞ》き加減の鼻が少し尖《とが》り気味に、頬《ほお》も削《こ》けて夜業《よなべ》仕事に健康も優《すぐ》れず荊棘《いばら》の行く手を前に望んで、何となし気が重かった。
 二日ほどすると、親たちの意嚮《いこう》をも確かめるために、桂庵が請地の家《うち》を訪れ、暮の餅《もち》にも事欠いていた親たちに、さっそく手附として百円だけ渡し、正月を控えていることなので、七草過ぎにでもなったら、主人が出向いて来るように、手紙を出すことに決めて帰って行った。
 銀子が出向いてきた主人夫婦につれられて上野を立ったのは十日ごろであった。父はその金は一銭も無駄にはせず、きっと一軒店をもつからと銀子に約束し、権利金や品物の仕入れの金も見積もって、算盤《そろばん》を弾《はじ》いていたが、内輪に見ても一杯一杯であり、銀子自身には何もつかなかった。
「お前も寂しいだろ、当座の小遣《こづかい》少しやろうか。」
「いいわよ。私行きさえすればどうにかなるわ。」
 しかし父親は上野まで見送り、二十円ばかり銀子にもたせた。
 二等客車のなかに、銀子は主人夫婦と並んでかけていた。主人は小柄の精悍《せいかん》な体つきで太い金鎖など帯に絡《から》ませ、色の黒い顔に、陰険そうな目が光っており、銀子は桂庵の家で初めて見た時から、受けた印象はよくなかった。お神は横浜産で、十四五までの仕込み時代をそこに過ごし、I―町へ来て根を卸したのだった。東のものが西へ移り、南のものが北で暮
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