り、銀子の稼《かせ》ぎではやっぱり追いつかず、大川の水に、秋風が白く吹きわたるころになると、銀子も一家に乗しかかって来る生活の重圧が、ひしひし感じられ、自分の取った方嚮《ほうこう》に、前とかわらぬ困難が立ち塞《ふさ》がっていることを、一層はっきり知らされた。
「お父さんとお銀ちゃんの稼ぎじゃ、やっと米代だけだよ。お菜代がどうしたって出やしないんだからな。」
母は言い言いした。
父母の別れ話が、またしても持ちあがり、三人ずつ手分けして、上州と越後《えちご》へ引きあげることになったところで、銀子はある日また浅草の桂庵《けいあん》を訪れた。
郷 愁
一
「おじさん私また出るわ。少しお金がほしいんだけど、どこかある?」
いくら稼いでも追いつかない靴の仕事を棄《す》て年の暮に銀子はまたしても桂庵を訪れた。早急の場合仮に越して来た請地《うけじ》では店も張れず、どこか商いの利く処《ところ》に一軒、権利を買わせるのにも相当の金が必要だった。
「いくらくらいいるんだ。」
「千二三百円ほしんだけれど。」
「芳町《よしちょう》の姐《ねえ》さんとこどうだろう。この間もあの子どうしたかって聞いていたから、もっとも金嵩《かねかさ》が少し上がるから、どうかとは思うがね。」
「そうね。」
銀子は田舎《いなか》でしばしば聞いていた通り、一番稼ぎの劇《はげ》しいのが東京で、体がたまらないということをよく知っていた。それにそのころの千円も安い方ではなかった。こうした場合かかる大衆の父母たるものの心理では良人《おっと》へのまたは妻への愛情と子供への愛情とは、生存の必要上おのずからなる軽重があり、子供が喰《く》われるのに不思議はなく、苦難は年上の銀子が背負《しょ》う以上、東京がいいとか田舎がいやだとか、言ってはいられなかった。好い芸者になるための修業とか、磨《みが》きとかいうことも、考えられないことであった。
「仙台《せんだい》はどうかね。家《うち》の娘があすこで芸者屋を出しているから、私の一存でもきまるんだがね。」
桂庵の娘の家では、何か問題の起こる場合に歩が悪いと、銀子は思った。
「やっぱり知らない家がいいわ。」
「それだとちょっと遠くなるんだが、頼まれている処がある。少し辺鄙《へんぴ》だけれど、その代りのんびりしたもんだ。そこなら電報一つですぐ先方から出向いて来る。
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