てもらっていることなどは、叭《おくび》にも出さなかった。
やがて妹たちもめいめいの立場から、姉の身のうえを恥じ、学校でも勤め先でも、秘し隠しに隠さなくてはならないであろう。
銀子は胸に滞っている当面の問題については、何にも話ができず、責任がまた一つ殖《ふ》えでもしたような感じで、母のお喋《しゃ》べりにまかれて家を出た。
藤本へ還《かえ》ったのは、もう日の暮方近くで、芸者衆はようやく玄関わきの六畳で、鏡の前に肌ぬぎになりお化粧《つくり》をしていた。彼女たちの気分も近頃目立ってだらけていた。銀子のことを、そっちこっち吹聴《ふいちょう》して歩いたり、こそこそ朋輩《ほうばい》を突ついたり、銀子の手に余るので、どうせ一度は抱えの入替えもしなければと、親爺《おやじ》も言っているのだった。
親爺は十畳で酒を呑んでいた。
「お前どこへ行ってた。」
「家へ行ったんだわ。」
「行くなら行くと言って行けばいい。お前お父さんに何か話しだろ。」
「別に何にも。」
「もっとこっちへおいで。」
銀子は廊下の処《ところ》に跪《しゃが》んでいたが、内へ入って坐った。
「それじゃ何しに行ったんだ。」
「お父さんがぶらぶらしてると言うから、ちょっと行ってみたの。」
「どうせ己《おれ》も一度話に行こうとは思っているんだが、どういうふうにしたらいいと、お前は思う。」
「そうね。私にも解《わか》んないわ。お父さん仕事ができないで困っているの。それに赤ん坊が産まれたでしょう。私も事によったら、しばらく家へ帰っていようかと思ったんだけれど……それよりも、いっそ新規に出てみようかと、汽車のなかで考えて来たの。」
芸者に口がかかり、箱が動きだしたので、話はそれきりになり、銀子は台所へ出て、自分の食事の仕度《したく》をした。彼女はわざと抱えと一つの食卓に坐ることにしていたが、芸者たちの居ない時は、親爺の酌《しゃく》をしながら、一緒に食べることもあった。抱えに悪智慧《わるぢえ》をつける婆《ばあ》やも、もういなくなり、銀子は仕込みをつかって、台所をしているのだったが、大抵のことは親爺《おやじ》が自身でやり、シャツ一枚になって、風呂場《ふろば》の掃除もするのだった。
翌日親爺の磯貝は、銀子をつれて本所へ出かけて行った。彼は肴屋《さかなや》に蠑螺《さざえ》を一籠《ひとかご》誂《あつら》え、銀子を促した。
「何しに
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